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逆光の都市




貴方のその眼に映る私と

貴方の心の瞳に映る私と

今貴方の手に触れる私


全て私と違う私、けして触れない見えない私

だけど全ての私を感じて


貴方の中に私が生まれる

いつも新しい私が生まれる


──…………








流行の曲が耳につく。

そこは夕方の繁華街。
人込みの中を女子高生が一人、携帯を操作しながら歩いて行く。
メールを入力し、送信。

街灯にもたれて携帯を畳む。周囲は一面、輝くネオンサインの群れ。
再び彼女が携帯をいじると、画面に踊るようなフォントの文字が現れる。
何処かのサイトらしい。
目立った更新は無いかとスクロールし、見当たらずに携帯を閉じる。
────見上げれば、そこには巨大な横断幕。
左右のビルと地上の植え込みからライトアップされている。
英語であろうその文字列は、
思い切り崩されたデザインの為初見では解読に困難を要する。


『 P I L A R Z E   W A V E  !!』

かろうじて、そう読めた。
周辺には、流行のアーティストの曲が溢れ、ポップなキャラクターが看板に踊る。
このどうしようもない程の人々の群れは、恐らくこの街を目指してやってきたのだろう。
彼女と同じように。

既に辺りは夜に近い。陽光による全方向の照明は遂に潰え、人々は人工光に照らされる。
全ての人々が影法師になる。
逆光に照らされた人々は既に彼女にとっても判別する事は出来ない。
ここは何という街だったろう?
何か格好良さげな横文字と漢字交じりの名前でなら知っている。
しかし、確か漢字による日本語らしい名前も有ったはずだ。何だったろう?

ぼんやり景色を眺めていると、影法師共の隙間に電柱が有った。
恐らく昔から有ったろうに、場違いにされてしまった緑のプレートがくっついている。
黒っぽいプレートが点滅した。
電柱の上の街灯が付き、プレートが明るく照らし出される。
『鵙鳴市 苔之生町』
読み方も分からず、只そんな記号が見えたことだけ彼女は確認した。



電柱を挟んで、誰か立っている。

黒い。
周り中の影法師の如く照らし出されたのでは無く、只絵に落とされたインクの如く、黒い。
誰か、と思ったのは、”かろうじて”人間に見えたからだ。

下半身は人間に近い。畝だらけの太腿部分とハイヒールのような足許。
だが上半身はまるで何かのファンタジーの悪役の身に付ける、肩当の長すぎる鎧の様だ。
そこから指の見当たらない腕が下がり、首の無い頭が乗っている。
────もしそれが頭ならば。
どこか原付の頭部分を思わせるものが、ちょこんと胴体に乗っかっている。



その頭が、にゅうと伸びた。

同時に、その頭が光る。
光る菱形が釣り眼のように並び、中心が僅かに繋がっていた。
昔どこかで見た古いギャグマンガのお巡りさんを想像する。
その眼のようなものがオモチャの様に、しかし生命体の鼓動の様に生々しく、点滅。



すると、


あちらの看板の背後から。
向うの雑居ビルの薄暗い入り口から。
そこの群れた男子高校生の中から。
あっちのビルの三階の開いた窓から。
目の前の電柱の、わらわらと絡まる電線のむこう、一番上から。


目玉繋がりの原付頭が、にゅうと伸びて彼女を覗いた。


















「────いやですからね、私どもは、探偵でもございませんので……」
「そこを………そこを何とか」

編集部のパテーションの中から大声が響いている。
一つは必死になだめる男性の声。もう一つは泣き喚いてすがる年配女性の声。
その内、
「………申し訳ありませんが、お引取り下さい」
そんな声が聞こえて、パテーション内の来客スペースから二人出てきた。
一人はおなじみ雑誌記者。
もう一人は、パーマをかけた40台後半といったところの女性。
雑誌記者は女性の両肩を後ろから押し、丁寧に出入り口へと送っていく。



そっとガラス扉を閉じ、ほっとしたのか溜息一つ。

「どしたのさ」
「いやな、何か頼みたい事がってお客さんが来て、聞いてたんだが」
「それが?」
「なんでも行方不明の娘さん探してくれって話でな。まあやっと断ったんだが」
「探せばいいじゃん」
「うちは警察でも探偵でもないぞ?単なる怪奇オカルト専門雑誌だぞ?」
「じゃあなんであのおばちゃん来たの?」
「警察はまともに捜してくれず、探偵も結局”分かりませんでした”ってオチだったそうだ」
「それで最後の頼みにウチに?」
「そゆこった。まあウチに来られても困るだけなんだが────それより」


「………なんでお前がここにいる?」
雑誌記者の席で、変人女がスーパーカップブタキムチ1.5倍をすすっている。
机の上にはコーラが二缶、おにぎり一つ、一口チョコの空いた袋。
いつの間に湧いて出やがった?
「おほるごはん」
「ちゃんと喋れ」
口からはみでた麺をすすって、ゴックン。
「陳さんがこないだの地震でイカレた電気工事するからって。んでしばらく停電なのよウチ」
「じゃあ自宅でのんびりしときゃいいだろうが」
「だってPC動かなかったら寒いんだもーん、あの部屋」
────PCの廃熱を空調代わりにするな。というか夏はどうなるんだ?

「で、さまよえるアタクシのイスラエルはこの編集部だった訳。よろし?」
よかない。とっとと来客スペースに引っ込め。
つか帰れ。
「やあよーう」
イスの上であぐらをかき回転しながらラーメンをすする変人女。Yシャツに!汁が!飛び散る!
「コンニャロ止め……ぬおぉウ!?」
捕まえようとした雑誌記者の腕を、いとも簡単に変人女はすりぬけた。
「にゃはは、ばいば〜い♪」
「あ!?こら待てオイ!!」
イスのキャスターを転がしてガロロロと編集部の通路を飛んでいく変人女。
雑誌記者も追いすがる!

……と思ったら、横から誰かにソデを掴まれた。
「すいませぇ〜ん、ちょっと質問が有るんですけどぉ」
この気の抜けた喋りは派遣社員の小坂である。主に経理を担当しているのだ。
つか空気読め小坂!
「この領収書、但し書き無いんですけど何ですかぁ〜?」
今日の日付の領収書を差し出す。何だこれ?今日は領収書切った覚え無いぞ。
「あ───、これ───?」
「ぁごっ」
カーリングチェアwith変人女によりケツにカマを掘られる雑誌記者。
変人女が領収書に何か書き足した。

  『昼飯代』

「じゃあコレ、こいつの経費で」
「わかりましたぁ」
「わかりましたじゃネエ!!人の会社の経費で勝手に昼飯食うなー!!」
またイスに乗って逃げる変人女。狭い通路を走って追う雑誌記者。






結局追いつけなかった。

変人女は遥か向うで小坂とアハハウフフと話に花を咲かせている。
息を切らせて傍の開いたイスに座る雑誌記者。机の上を見て、ふと気が付いた。
「編集長ー、今日おかじー休みですか?」
編集室一番奥、窓際にある編集長席の大きな体と輝く頭が返事をする。
「有給だ」
あ、さいですか。
「三日目だがな」
うわあい。

編集長も机の上で何か見ている。どうやらおかじーの私物の携帯TVらしい。
「おい、ホレ…………見てみろよ」
編集長に促され、席まで行って横から覗く。何かのワイドショーによる流行特集だ。
「巷じゃ昨今こんなのが流行ってるそうじゃないか」
「ああ、”ピラーゼ”系ですか?」
「ん?ああ、だとか云ってたな。何でこんなのが面白いのか分からん。全く分からん」
体育会系油でぶももう結構な年、ジェネレーションギャップを感じているのだろうか?


ワイドショー司会者が図を用いて説明する。

”ピラーゼ”系。何処から湧いたとも知れぬ、この名前。
最近の小説、マンガ、アニメ、ゲーム、映画、ドラマ……あらゆるメディアがこの名を冠する。
何処かで聞いた事のあるメロディ。
何処かで見た事のあるストーリー。
何処かで使われていたキャラクター。
何処かで使われていたオチ。
なのに何故か、面白い。
何処が面白いのか分からないのに、絶賛される。
結果”ピラーゼ”系創作物は人々を惹きつけて止まず、大きな流行となっている。

特徴的なのが、発信地が既存メディアではなくネット内、しかも匿名であるということ。
普通なら創作物の製作者は、金や名声など何らかの対価を求めるもの。
どんなモノであろうとも人に見せ、反応を愉しむのが作り手の本能の筈だ。
────────それが、”ピラーゼ”物には全く無い。
作品に対する賞賛や批判に対し、製作者の声が全く見当たらないのだ。
只作品だけが、ネットの其処此処から雲霞の如く、蛍灯の如く湧き現れてくる。

只、それらを”ピラーゼ”系の立役者と考えられているのが、
株式会社”Pilarze”。
東京近郊の地方都市に存在するこの中小IT企業のバラまくメディア製作ソフトにより、
殆どの”ピラーゼ”系作品は製作されているらしい。
────その会社そのものに対しては、全く情報が無いのだが。



「んー、……流行には、乗るべきなんだろうがなぁ」
編集長が大きな体で思い切り溜息をつく。
煙草を取り出し、火をつけた。
「ん?ああすまん愚痴なんぞ聞かせて。さ、ちゃちゃと仕事してくれや」
そう云われて席に戻る雑誌記者。イスは変人女が持ってったまんまだ。


立ちんぼのまま頭を掻くき、辺りを見回す。

流行が理解できない編集長。
サボリ三日目の正社員。
くっちゃべまわる外部者と派遣。


「はあ────〜………ぁ……」
正直この雑誌、もうダメかも分からんね?










その日の夕刻。

雑誌記者はちょいと近所の別出版社に出向き、そのまま直帰する旨編集部に連絡した。
変人女がまだ編集部内で遊んでいるらしい。はしゃぐ声が聞こえる。
途中で電話子機を略奪したらしく、
『こらー逃げんな────!!戻ってこいこの童t』
セリフを全部聞く前に携帯を切ってやった。どうせろくな事云いやしない。

出版社のビルを出て、背伸び。さあ帰ろうと足を踏み出すと、
「よお、何してやがる」
覚えのある声だ。
振り向くと、古ぼけた灰色のコートに無精ヒゲの男が立っている。
「……ああ!貴方こそ何してんですか、笠本サン!」
「ん?いや何ヤボ用でな。景気はどうだヘンタイ記者?」
「…………その呼び方止めて下さいって」





そのまま夜になって、ガード下の屋台で再会を祝して一杯。
膝を並べてビールをイッキ。
雑誌記者と笠本警部補が同時にぷはあと息をついた。

以前雑誌記者が、ある事件現場近くへの不法侵入の疑いで拘留された時の事。
何故だか気が合い、意気投合してお咎めナシにしてくれたのだ。
以来笠本警部補とは親しく付き合い、、
タマに記事になりそうなネタをこっそりリークしてもらっているという間柄なのである。

「貴方もまだ、正義漢ぶって警察仕事してるんですか?」
「うるせ、こりゃ俺のポリシーだ。そのお陰でテメー痴漢にならずに済んだんだろ?」
「…………感謝しております」
「……ん、ならまあいいけどよ。ヘヘ」
屋台のオヤジにタマゴを注文する笠本サン。
「で、どうです?最近いい感じのネタって転がってないですか?」
「ん?んう、ん────〜……」
おや何だ?歯切れが悪い。
いつもなら無いなら無いで話を転がしてくるものなのだが?

それにこうして薄明かりの元で見ると、笠本サンの表情はどこか憔悴しているように見える。
「んー、いや、無いか。オヤジー、がんもどきとちくわ」
何か出掛かったのを誤魔化した。嫌いな筈のタマゴを丸呑みしている。
「────何か、有ったんですか」
蛇みたいに丸呑みしたタマゴを詰まらせたのか、今度はビールをぐいぐい飲んだ。

やがて、
「……すまん」
真剣な目で、雑誌記者を見た。
「ちぃと、相談したい事があってなぁ」






部分部分、珍しく言葉を選びながら笠本サンは語っていく。

────相談内容とは、自分の家族の事。
先程の態度はつまり、身内の話で恥ずかしかったのだろう。

一ヶ月前、16になる自分の娘が行方不明になった。
勿論警察に届け家出人捜索の手配をしてもらい、自分も有給を使って彼女の友人宅などを探し歩いた。
しかし、結局見つからず。
過保護な妻は警察が信用できないとのたまい始め、探偵を雇ってまで探したのだが、
矢張り見つからず。
これにより元より冷え切っていた夫婦関係が崩壊寸前になった2週間前、

娘が戻った。

行方不明時の服装そのままの姿で、
ただし、性格は豹変して。

真面目一辺倒だったハズの性格はハデになり、まただらしなくなった。
授業を真面目に受けるでもなく、すぐサボるようになり、ふらふら出かける。
そしてふらりと帰ってきたかと思えばすぐ部屋に篭る。
PCでネットをしたりDVDを見ているらしい。
話しかけても殆ど反応は無く、まるで野菜にでも話しかけている様な感じだと妻は云った。
家出中に悪い何かに引っかかった、というのでも無いらしい。
その様子に絶望したのか、はたまたそれがスイッチになったのか────

妻もまた、出奔した。




「あれは私の娘じゃない、娘は何処へ行った、とか云いながらな」
またビールをあおる笠本サン。
今日、自分の妻の捜索願を提出してきた所だそうだ。
それでか、このやつれた表情は。
「………ん?」
雑誌記者の脳裏にこびりついた何かが今の話に反応しているようだ。
単なる既視感?
いや、たしか、今の話は────……
「笠本サン、今奥さんの写真とか持ってます?」
「ん?ああ」
笠本サンが懐から手帳を取り出す。
家族三人で並んで幸せそうに映った写真。旅行した時のものだろうか。
その一番右────笠本サンの横に居る、中年女性。

やっぱりか。
今日の午前中、編集部に来てやたらしつこく娘の捜索を依頼してきたあの女性。
笠本サンの奥さんだったのだ。
その事を笠本サンに告げると、
「…………そうか、迷惑掛けたな」
一言だけそう云って、うつむき押し黙った。


「それで────僕にどうしろと?奥さんを探せとでも?」
「いや、違う」
「じゃあ、何です?僕みたいな場末のマスコミにゃ、出来る事なんて……」
「それだ」
無精ヒゲの濃い顔が上がる。
手入れしていないのだろう。
「お前らマスコミは『敵』にかなり近い筈だ。奴等について教えてくれ」

『敵』?
「娘も妻も、あいつらに夢中になって誑かされたとしか思えない。そう、『敵』だ」
「『敵』って………明確な組織か何かですか?それとも個人?」
「はっきりしない。だが今そこら辺中に湧いて出てきて溢れかえってやがる。胸クソ悪い」
「そんな、幽霊みたいな……」
「だからこそお前に聞いている。妙な噂やヨタ話ばかり、あいつら一体何モンだ?」
「あの、せめて────名前とか」
ハッ、と気が付いたようだ。そういえば名前を云ってない。
再びビールをあおり、ビンが空になったのを確認して、笠本サンは訊いた。




「お前、”ピラーゼ”系ってヤツ、どう思う?」








『”ピラーゼ”系?』
「そう、”ピラーゼ”系。お前何か知ってるか」
『ま、一般教養的には。あんま興味ないけど、ソレがどうかした?』

気持ちよく晴れた朝である。
自分の部屋で雑誌記者は朝飯を食っていた。
外のベランダでは洗濯機がウォォンウォォン回っている。
久々の休日だ、が。
────昨日の夜の笠本サン。正直、気になった。
丁度変人女から電話があったので、今こうして話をしているのである。




昨日のあの屋台で、笠本サンは明らかに”ピラーゼ”系の創作物へ悪意を漏らしていた。
娘は半年位前から、流行の先取りとして。
奥さんは2〜3ヶ月前位から、近隣の主婦グループの流行として。
二人とも”ピラーゼ”系のメディア作品をしょっちゅう視聴していたしていたという。
そして娘の失踪後、奥さんは娘を探しながら逃避するようにこれらに更にのめり込み、
娘は戻ってから、部屋の中でそれらにばかりかまけている。
────それが敵視の主な理由だった。
それに対し、雑誌記者は単なるスケープゴートじゃないですかと主張した。
すると笠本サンは、飲めないのに焼酎を注文し、

更に自分の脚と体験で調べあげた、妙な傍証を主張した。




「”ピラーゼ”系について妙な噂、聞いたこと無いか?」
お茶漬けで少々舌をヤケドしながら、ぞるぞると掻き込む雑誌記者。
『噂?例えば?』
「例えば …………”ピラーゼ”系の製作者について、なんだが」





『────”ピラーゼ”系のメディア創作物は、全て機械が作っている────』

昨日の屋台で、笠本サンはそう云った。
笠本サンはこの件について独自に調査を続けていたらしい。
”ピラーゼ”系の製作ソフトをDL、もしくは購入した連中を割り出して聞き取り、
また慣れないネットコミュニティをうろつき質問厨になってまで調べたそうだ。

この奇妙な噂はそこら辺中で囁かれていた。
────発表される膨大な作品数に対して、明らかにソフトのダウンロード数が少なすぎる。
───流出される作品群に、全く人個人としてのクセや特徴が判別できない。
──転載元を調べても、必ず何処かのアップローダーや掲示板で途絶える。


更に実体験の証言として、『ピラーゼの怪談』というサイトにいくつか話があったと云う。
笠本サンはご丁寧にプリントアウトした紙を見せてくれた。
【あるCG絵師の話。
 彼は、ネットでは有名なエロコラ師であった。
 ”ピラーゼ”画像ツールでエロ改造した画像を掲示板に投稿するのが毎日の趣味だったという。
 
 ところがふと気づけば、いつの間にやら別の掲示板に同じ作風でコラ画像が貼られるようになる。
 それは、その内ネットのそこら辺中で見かけるようになっていく。
 絵師は不気味に感じた。
 その改造元画像が、今自分のHDD内の手持ちの画像”しか”見かけない”のだ。

 ある時、昔からの熱狂的ファンが掲示板のログとIDからその偽者を割り出してくれた。
 絵師は仰天する。
 ────何とその模倣者は、絵師自身のPCから書き込みしていたのだ。
 『なんだ、自演だったのか』
 そう云われた。
 しかし彼には覚えが無い。何より自分よりも投稿頻度が速いのだ。

 恐ろしくなった絵師はHDDを付け替えた。
 しかし模倣者は付いてきた。
 マザーボードも取り替えた。
 しかし模倣者は付いてきた。
 本体全てを買い換えた。
 しかし模倣者は付いてきた。
 引っ越した。
 付いてきた。

 ……やがてその絵師は、リアルからも姿を消してしまったという】






『で、オチは?』
「────いや、特に無いが」
『何だツマンナイ』
「…………お前の詰らん批評の対象じゃねえぞ。」
気が付くとベランダの洗濯機が唸るのを止め、ぴーぴー鳴いている。腰を上げた。
『んで?噂ってそんだけ?』
「いや、まあこっちが本題というか、────妙なんだがな」



”ピラーゼ”系オタクの間で、先程のの噂よりも広がっているホットな話がある。

 【作品の端々に、たまに妙な人影が映る】
”ピラーゼ”系にハマっている連中は、勿論様々な媒体でそれらの作品を視聴する。
視聴するようになってしばらく経つと、その端々に黒い人影が見えるようになるというのだ。

例えば、動画内での電柱の陰。
机の陰。
時計の陰。
アニメや静止画は勿論、小説など文字メディアにも出没する。
その人影を想起させる描写だったり。
アスキーアートの様に文字列に浮かび上がったり。

特徴は、特撮ものの衣装の様に巨大な肩当をした、真っ黒な人影だそうだ。
その人影の顔にあたる部分にはライトとも眼ともつかないモノが有り、
その顔部分がにゅうと首を伸ばして、
光る。

────只、皆が皆そのようなモノを見るという訳では無いらしい。
相当の”ピラーゼ”オタクでも見たことが無いと否定する者も居るし、
少ししか見たことが無く興味も薄いのに、何回も見た事があると云う者も居る。
更にその人影を、メディア外、即ち現実で見たという者も居る。
────病院へ行った者も居るようだが、全て錯覚や幻覚とされてしまっているようだ。




『で、オチは』
「………だから噂なんだから無いんだってーの!」
『煮え切らないわねぇ両方とも。有象無象の単なる噂話にしか聞こえないわよ?他は?』
脱水まで終わった洗濯物を取り出し、干していく雑誌記者。
「いや、大体こんなトコか」
『何にも見えてこないわね。両方とも新しい文物によくある怪談じゃない?」
その通りだ。図書館を探せば、郵便やラジオやTVにも似た噂が見つかるかもしれない。
だが。
『ま、時が経てば消えるわよ。疑う余地なんて無いわ』
…………────いや。
余地ならある。
証拠がある。

『証拠も無い証人も居ない、無い無い尽くしの噂話は放っといて────』
「証人なら、知ってるぞ」

昨日、笠本サンが話してくれた。
「その人も、身内と一緒に”ピラーゼ”系のドラマや曲をよく視聴してたらしい」

”ピラーゼ”系を敵と疑うきっかけになった、体験。
「どんな人?」



「笠本っていう警部が、その黒い人影を現実で見たそうでな」




絡みついたジーンズのせいで、木綿の下着がビリッと破けた。
くそ、泥が跳ねたからって洗濯するんじゃなかった。


『……────じゃあ一回、その人に会わせてくれない?それなら信用するわ』
「……分った」
日時を取り決め、携帯を切る。
三人寄れば何とやら。
変人女の変人的知性を持ってすれば手掛りも掴めるかもしれない。
変人女以外の二人も女だったら妙な事態ももれなく付いて来そうだが。
携帯をポケットに仕舞おうとした瞬間────
また着信。パンツを落としかけながら見ると、笠本サンからだった。

「もしもし?」
『………モシモシ!?あああすいませんこちら────』
誰だ?聞いた事の無い若い男の声だ。
笠本サンではない。
「誰ですか?笠本サンの身内ですか?」
『ああすいません、同じ警察署に勤めてます内田と申します。少しよろしいですか』
警察は携帯電話も支給しないのか?と余計なことを考える。
『そちらの方に笠本警部補は伺ってませんか?』
「いえ?昨日の夜は一緒でしたけど。何か?」
『ああそうでしたか。参ったなぁ…………』
今にも通話を切りそうな雰囲気だったので、話を繋ぐ。
「僕は笠本警部補サンと個人的な知り合いなんですが────何か有ったんですか?」
『あー……、じゃあすいません。もし見かけたら伝えて下さい、奥さんが家に戻ったと』

奥さんが?
行方不明の笠本サンの奥さんが?
というか、笠本サンは家にも警察にも居ないのか?
「すいません、今、笠本サンって────」
『あ、ああ』
部外者にもホイホイ事情を話す内田氏。余程混乱してるに違いない。



『笠本警部補、昨日の晩から連絡が取れないんですよ。携帯電話も置いたままで』











数日後、あの繁華街の入口。

元はしょぼい地方商店街だったのであろう、
その頃の名残のように、地味な飾り付けの門が場違いに立っている。
その門も周囲のビルのネオンサインや旗や横断幕に覆い隠され、
ぱっと見では、単なる太目の電柱が道を挟んで立っている様にしか見えない。

『 こ け の う 銀 座 』
掠れ消えかけた門の看板に、かろうじてそのような文字がうっすら貼りついている。
その、看板の下に────────



変人女が、仁王立ち。
咥え煙草にいつもの白衣。
いつものベストにいつものスカート。
頭もただ纏めてひっつめてある。
というか、コイツと知り合ってから同じ服装しか見たことが無い。

「…………お前、服装に拘らないにも程があるぞ」
いや、拘りすぎなのかこいつの場合?
「何よ、あんたのそのスーツも昨日と同じでしょうが」
あーいえばこーいう。余所行きのちゃんとした服とか持って無いのか?
「あたしの場合サイズでかすぎてその辺に置いてないのよ。靴だって特注だし」
スカートで思いっきり足を上げる変人女。確かに脚のサイズがデカい。
「ってか、蹴るなコラ!」

「んで?あんたのお友達で行方不明の笠本とかいう刑事さんを、ココで探すと?」
「そゆこった」
「あたしには確かその人、”ピラーゼ”の件の証人だって云ってたわよね」
「ああ」
「で、今日会う約束だったのよねその人と?」
「そーだ、……────って黙って蹴るな!イテすまん!!悪かったアウンッ」



笠本サンは雑誌記者と飲んで別れてから、行方が分らなくなっていた。
しこたま慣れない焼酎を飲み、へべれけになった二人は最寄の駅へ。
雑誌記者はバスで、笠本サンは電車でそれぞれ深夜に帰宅した、ハズだったのだ。
只警察による周辺の聞き込みによると、
『へべれけに酔ったおじさんが乗り込んできて臭かった』
『無関係らしいOLとか、誰も居ない席とかにがなりたててうるさかった』
『苔之生駅に到着すると、待てとか大声を上げて出て行った』

この証言。
人相風体からすると笠本サンと思われる。
────何より、言動がそれらしい。
雑誌記者にしか分らないが、間違い無くあの”黒い人影”を追っていたのであろう。

これらの証言から警察も苔之生町を捜索したらしいが、たいした情報は掴めていない。
なによりまだ事件性が乏しいとの事で、ヘタしたらこのままお宮行きになるかもしれない。
一応身内なので捜査は『継続』中らしいが。



「────で、アタシに手伝ってくれと」
まだ入り口で仁王立ちしている変人女。
おい頼む、目立つ服装で目立つ場所に目立つポーズでふんぞり返るのは止めてくれ。
「ま、分ったわよ。アンタにゃ最初から世話になりっぱなしだし、付き合ったげる」
腰に当てていた手を下げて、変人女は道の脇にすっと寄った。
あれ何だ?この聞き分けの良さは?
「……あ、いいのか?」
「うん」
「本当に?」
「本当よ」
とてもとてもありがたい傾向なのだが、心の水面に落とされた一滴の疑惑が晴れない。
「その代わり、何か奢んなさいな。いろいろと」
「……何だいろいろって」
「んー、いろいろと」

そらきたー。



誰であっても変人女と少しは接すればこの後どうなるか察しは付く。
ハズだった。
だったのだ。

しかし────
焼肉屋で雑誌記者のネギまで食べる変人女。
アイス屋で全種乗せを注文しようとする変人女。
更に行列の出来てるラーメン屋に特攻しようとする変人女。

想定外、いや予想をナナメ前方に遥か超えた行動をかましてくれる。というか、
「………お前の胃袋は宇宙か」
「何でよ。宇宙はあんたのサイフでしょ?」
給料日前のペタペタサイフにインフレーションを期待するな。質量保存の原則は曲げられん。
「ふ〜ん…………」
やけに周囲をキョロキョロ見回す変人女。今度は何処の飯屋に特攻する気だ?
「うーん、 ……お、あそこ。あの服屋行きましょーか」

更に服まで買わされた。
「あんたが服がどーたらこーたら云うからでしょうが。ん?」
だからって何で服まで買ってやらにゃいかん。
てか何だ?これはいわゆるデートなのか?大学以来じゃなかったか?何でこんな変な女と?
「じゃ、そろそろご休憩でもしましょうか。どお?」

 ご 休 憩 !?



てゆーか単なるマンガ喫茶です本当に有難うございました。
しかも別々の部屋にされました。
………いや、期待してた訳じゃないぞ?

とりあえず暇つぶし用マンガを探しに行くと、変人女も本棚前で物色していた。
「流石ねぇー、見事”ピラーゼ”モノしか置いてないわ」
よくよく店内を見回すと、DVDもゲームも、貼ってあるポスターでさえ”ピラーゼ”系。
「外もじっくり観察したけど”ピラーゼ”系で溢れてる。さながらこの街はテーマパークね」
あそこまで遊びまわっていながら、コイツはそこまで観察してたらしい。
「ん?そもそも笠本サンて刑事探す為にここ来てたんでしょ?あんた何見てたのよ」



とりあえず昼間は手掛りも見つからないので、ここで夜まで待とうということになった。
ヒマなのでネットでこの街の事を調べてみる雑誌記者。
確か『こけのう町』、だったか?

────検索すると予想通り、”ピラーゼ”系の話ばかりヒットする。
誰もこの町の来歴など気にしていない様子。
……と、検索結果のかなり下位の方に市役所らしきHPがヒットしていた。
開く。

『鵙鳴市』の『苔之生町』。
これで”もずなきし””こけのうちょう”と読むらしい。
元々湿気の多い沢周辺の町で、苔の美しい『苔之生寺』という寺が名の由来だそうだ。
だが戦後間もなくその寺も住職が居なくなり廃寺、鵙鳴市に吸収。
地方の少し寂れた下町、であったのだが────
『株式会社”Pilarze”』。
この会社が移転してきてから、この町は変わり始めた。いや乗っ取られたと云った方がいい。
元寺の敷地内に建てられた住宅街にその会社は有るようだ。
…………この会社が、敵の本拠地か?
笠本サンもネットで調べたならココへ行くかも知れない。ヘタしたら不法侵入の可能性もある。

時計を見た。そろそろ日が落ちる。
部屋を出る雑誌記者。連れ出す為に足早に変人女の部屋へ向かう。



返事が無いので覗いて見ると、変人女は机に突っ伏して爆睡していた。




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