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地脈線の恐怖



────とある山の中。

既に木枯らしが吹き荒れ、寒々しい枝だけになった林が揺れる。
枯れ草模様の下生えの斜面を、一本の獣道が通る。
道脇の枯れ笹に隠に隠れているのは、小さな祠。中は見えないが道祖神か何かだろか。

その獣道の彼方に、明らかに場違いな奇妙な機械が立っている。



近寄って見ると、そこは切り開かれた大きな広場である。
工事用車両が数台端に留めてあり、広場の中心にはあの機械。
ボーリング機だ。
周囲には数人の作業員が散らばり、半ばのんびりとした雰囲気で作業している。
傍に止めてあるバスには、『山駆谷地質研究所』、ハゲかけたロゴがそう見えた。

バスの中から、ジャンパーを着込んだ大柄な男が出てきた。
タラップから降りるなり、よっぽど寒かったのか両手を擦り合わせ、ポケットをまさぐる。
軍手をポケットから何枚も取り出し、如何するのかと思ったらソレを全部付け始めた。
ようやく軍手をつけ終わり歩き出すと、ポーリング機の作業員が声を掛ける。
「監督────?ドコ行くんですか?」
「散歩」
「しょんべんはちゃんと仮設でしてくださいよー?」
舌打ち一つ。バレていた。



誰のが原因か知らないが、仮設トイレはなんか臭い。
デカいのはともかく小さいのはこの寒さで頻度が大きい為、何度も行く気がしないのだ。
よってこの監督と呼ばれた男、小はその辺の小道脇でする習慣になっている。

ほいほい坂を下っていく。結構歩いて、ボーリング機の根元が隠れるところまで来た。
────辺りを見回す。誰も居ない。
チャックを下ろす。

「うおっと」
発射直前で目の前の祠に気付いた。流石に畏れ多く矛先を逸らす。
この山にはこのような祠やお地蔵さん、岩仏に石塔等が多い。
昔は余程民衆の信仰を集めていたのだろうか?ここより上には神社があったハズだ。
確かイワフリ…………何とか?
と、蓄積した老廃物を廃棄完了。同時に廃熱もした為ぶるりと震える。
モノを仕舞って手を合わせ、一言。
「……失礼、いたしました」




……──── ズ ン !!


腹に響く重低音。驚き周囲を見渡した。
次の瞬間、強い縦揺れ!
「な、地震!?」
目の前の祠の格子戸がガタガタ鳴っている。
自分のした所に突っ込みそうになりながらよろよろと走り出した。
ふと頭の片隅で、やはり神前放尿はマズかったのかとの考えがよぎる。

……そうだ、現場は?現場は如何なっている!?
もしボーリング機が転倒して誰か押し潰されでもしたら大惨事だ。行かなければ!!

足許に違和感を感じながら走り出す男。
途中の勾配がきつい所で横揺れが襲ってきた。
足を滑らし、平衡を保てず横の薮に転げ落ちる。笹の枝が危うく目をかすめ頬を切った。
何とか道に戻ったものの、立ち上がるのがやっと。
進めない。
目の前のざわめく木立の向うで、ボーリング機が揺れているのが見える。
「……クソ、まずい」


────と、ようやく揺れが収まってきた。
そろそろと足許を確かめながら、再び走り出す。現場はどうなっているのだろう?



ようやく現場に辿り着いたのは、揺れが収まった後だった。
「……───監督ぅー」
作業員たちが途方に暮れている。成る程ひどい有様だ。
観測用の機材は散乱し、肝心のボーリング機は傾いだまま止まってしまっている。
地下の先端は折れたに違いない。
そしてそのボーリング機の根元から、

「…………何だこりゃ?」
真っ赤な泥水だった。
足許にも流れてきたので思わず避ける。意外と粘っこい。
立ち込める鉄サビ臭い、むせ返る匂いは泥水というより、

血に見えた。


「監督ー!何処行ってたんすか!!」
重機担当の新人の声だ。
声のする方に走って行くと足許がぬかるむ。
あの赤い泥水だった。
何処から湧き出てきたのか巨大な赤い泥の沼が出現し、
その中に重機が少しだけ屋根や腕部分の頂上を覗かせて丸ごと沈んでいた。
「……監督、それもそうですが、あっちを」
重機担当が木立の向うを指差す。木立を向けるとそこは崖。その先は────


雑木林。
巨大な岩。
旧家の蔵。
石垣。
畑の中の納屋。
並んでいた電信柱。
国道のアスファルト。
集合住宅。

新築の家。

自動車代理店の看板。

コンビニの駐車場。

ファミレスの店舗半分。


小学校の武道館。


巨大な鉄塔。



赤い泥沼がまるで大地の傷口の如く生々しく連なり、存在していた物体の悉くを飲み込んでいる。
その鮮血の連なりの先、遥か彼方の地平線から、




蛇のように長い棚引く雲が、二本空に立ち登っていた。












アナウンスで駅に到着したのを知り、席を立った。

木で出来た床を軋ませながら昇降口の前に立つ。

が、開かない。何故だ?
すると横から子連れの中年女性が手を伸ばし扉を開けた。一応会釈しておく。
ホームに下りてから、自分の乗ってきた汚い車両をじっくり眺めた。
線路は単線、車両は恐らくディーゼル。
床が木だったし相当古い車種なのは間違いない。
────だからって扉が自動化してないとはどういうことだ、この21世紀に?


などと下らないモノローグを浮かべながら、雑誌記者は改札を通った。
荷物がつっかえる。
改札に人など居ない、無人駅である。


今度は駅舎を省みる。駅名すら書いてない。
ホームにある案内板を見て、初めてそこの名前が分かった。
 『磐古平』
”いわふりだいら”、とふりがながふってある。恐らく書いてなければ誰も読めないだろう。
駅のすぐ横の鉄柵には街の由来や観光場所を書いた案内板が有った。
が、何故か足が折れたまま壁に立てかけられ、半ば放置されている。何故だろう。
広場にもなっていない駅前から正面を見れば、
オニギリみたいな形の山がデンと視界に居座っている。
その背後には、オニギリ山を挟むようにして山脈が連なっていた。

何故こんなドの付く田舎に雑誌記者が来訪したか?
仕事である。
でなければこんな不便な所には来ない。彼は根っからの都会者なのだ。
ではその都会者をド田舎に連れ出してきた仕事とは何か?
そのとてつもなくしち面倒くさい仕事を雑誌記者にふっかけた依頼者達が、



駅前でケンカしていた。



「────またですか?野阪さん、田尾さん」
「あー、どうもお久しぶりです!すいません、駅前で鉢合わせちゃって」
それぞれの連れている助手や学生達が謝るが、本人たちは一切気にしていない。


……野阪先生は、山一つ向うの高校で地学を担当している先生。
一応非常勤なので、その傍らこの周辺の地質研究を行っている。
……田尾教授は、東京の大学の地球科学部で教鞭を取る教授。
工学部の教授陣と連携して、最新鋭の地質調査機材を開発し、目下売り出し中。

────この二人、よりにもよってある地質の共同研究者だというのに、

何故かとてつもなく馬が合わない。
そりが合わない。
つまり、仲が悪い。

しかもこのケンカ、タチの悪い事に止めに入るのが非常に難しい。
何せその主なケンカの理由がお互いの学説に関することなのだ。
さあ耳をすましてみよう。
「いいか!君の云う砂礫層は北米ユーサンドレ系の放射年代測定で否定されていて」
「あれは上部地層の二次堆積の可能性が高い!ベイリーズ採取法なぞ信用できるか!」



はーい全くわかりませーん。



「あの────」

雑誌記者の後ろから、いきなり声。
振り返ると枯れ木のような老人が立っている。全く気配を感じなかった。
「お二人とも喧嘩はおよしください。お山の神さんの気に触れてしまいます」

もっさりとした低い、しかし、よく響く落ち着いた声だった。
誰だろう?雑誌記者の記憶には無い。
「あ?ああ、申し訳ない」
「いやーすまんすまん。お?君来とったのか?早く言い給えよ!」
「…………お二人が気付かなかっただけです」

その枯れ木のような老人の名は松原というらしい。
一声であの二人の口ゲンカを止めてしまうとは、凄い老人も居たものだ。


「で、今回の取材の件なんですが」
「おー!!君はこの研究の広告塔、資金誘引用パンダ役頑張ってくれたまい!」
説明を一言で済ましてしまった。

要するに売名目的という事だ。そうすればより大きな金を動かし研究が出来る。
「私の研究も世に広まり野阪君も研究者として自立できて、
 ようやく私と対等になれるのだ!」
「…………じゃあ何ですか、私が貴方の格下だと?」
「アマチュア研究者と大学教授だぞ?大体君は論文の形式も良く知らん!それに……」
また始まった。

「お山の神さんが、お怒りになられます」

と思ったら、黙ってしまった。
松原老人が加わっていいトリオになっている。
それより、さっきも云っていた”お山の神さん”とは何だろう?


肩にかけたバッグをずり上げる雑誌記者。長期滞在も視野に入っている為結構重い。
「そういえば君、泊る所は決めてるのかね?」
「いえ、できれば皆さんと同じところが良いかと思いまして。旅館です?それとも民宿?」
「いや、松原さんの所にご厄介になっている」
成る程、宿泊先のご主人ということか。なら大きな顔は出来ないのだろう。
「じゃあとりあえずご一緒します。何処ですか?」
「あそこだ」
田尾教授が斜め上を指し示す。


────────どーみても、あのオニギリ山の真ん中辺りにしか見えませんが……

「あの”磐古岳”の中腹辺りに住んでらっしゃる。いーい所だぞ?」
田尾教授がしきりに勧めてくる。
「確かにヘタな旅館よりも風情がある。一緒に来たまえ」
野阪先生まで同意した。
えーと、松原老人は……………

「人数が多いので一人増えても一緒です。どうぞ」





ココで質問。
オニギリの角度って、たしか60度位ではありませんでしたでしょうか?










松林の向うに海がちらちらと見える。
駅に着いたときは判らなかったが、海から2kmも離れていないだろう。

冬の陽光に波が照らされ、美しい。




てゆーか、

「何ですかこの超絶いろは坂!?」
「絶景だろ?舗装もしっかりしてるしトラックだって入れる。
 だ────い丈夫!何も起きやしないって!」
アスファルト舗装の割りにジープも雑誌記者の身体も揺れる。
田尾教授のはかない保障は体感の前では無力であった。

…………そんな事言ってる間に、目の前にいかにもな岩壁が見えてくる。
一応崖側のガードレールには鉄柱に何十ものフェンスが張ってあった。
が。
何だか今落ちてきたばっかりという感じの石がゴロゴロしてるし。
何よりアスファルトの中心に亀裂が入ってるし。
────この道、早晩崖下に崩落するんじゃなかろうか?
「大丈夫!ここ最近はそんな大きな事故とか起きてないそうだから!
 松原さん保障済!!そうでしょう!?」
「確か戦時中台風が来た時一度崩落したそうです。もう危ないかもしれませんな」

……誰か助けてェー!



何とか生きて通り抜けた。
やっとこさ出てきた平らな地面に雑誌記者はちょっとだけ安心する。
でも帰りどうしよう?

辺りを見回すと、広がる笹薮に枯れた木立が数箇所。結構広い場所のようだ。
オニギリ山の中腹にこんな場所が有ろうとは。
隠れ里、といった感じだろうか。
「驚いたか?まあ、この山の形状はテーブル山に毛が生えたようなもんと思えばいい」
成る程。
絶壁の上に平らな地面、確かにテーブルである。

途中から舗装が消え、赤土を跳ね上げながら泥道を進む。
石の柱をくぐった。
「────お、鳥居?」
と思ったら、
萱葺き屋根に寝殿造り風な建物が見えて来た。石で作った階段が手前に並ぶ。
階段前でジープが止まった。
「こっからは歩きだー。ホレ、荷物出すぞ?」
「松原さん、神職だったんですか?」
「ああ、お一人でこの社の管理をしてらっしゃる。氏子は下の磐古平だ」


神社の名前は『磐古明神社』。御神体はこの磐古岳だそうである。



そんなこんな有って、ようやく松原さん宅到着。
思ったより現代風な家だった。
部屋は客間にザコ寝だそうである。とりあえず隅っこの方に荷物を置いて一服してると、
「君、早速だが田尾さんが例の機械を試したいそうだ。すまんが来てくれるか?」
野阪先生がわざわざ呼びに来た。ちょっと浮き足立っている。

やれやれ、お忙しいこって。



また赤土の道を、今度は徒歩で歩いていく。
広がる笹薮の中に一つ二つ、崩れかけの空き家が数件見えた。
「こんな所に────他にも人が?」
「昔はここで氏子達も皆一緒に暮らしてたらしいね。『笹薮村』といったそうだ」
一緒に歩く野坂先生が答える。
小さな岩仏を過ぎた。

畑の跡らしい畦。
薮に消える石段。
藻の浮かぶ肥溜め。
枯れ木の向うの土壁。
自然に帰りかける人々の痕跡。

「こんな狭い土地で、どうやって暮らしてたんでしょうねぇ」
「…………まあそれも、我々の研究課題の一つなのだがな。そら見えたぞ」

大きな広場だ。
笹が茂っていないのを見ると、最近切り開かれたものらしい。
雑誌記者達を見つけて、田尾先生が大げさに手を振った。
足を踏み出そうとして────ぬかるんだ。
雑誌記者は思わず足を引く。
「ああ、その辺はまだぬかるんでいる。こっちから回り込んだほうがいい」
見るとあちこちに似たようなぬかるみが在る。どこか生臭い鉄錆びの匂いがした。
「これがあの田尾さんを増長させたきっかけだよ。忌々しい」



野阪・田尾、両氏が主催する『山駆谷地質研究所』。

磐古平周辺の地質研究を以前より計画しており、その時雑誌記者にも依頼が入った。
その時は田尾教授の最新鋭機材おひろめ兼調査の予定、だったのだが────
一週間前。
野阪先生が抜け駆けしてボーリング調査の人員を派遣したのだ。
二人の間にどのような確執があったかは理解できない。
しかし運が悪かったのか、ボーリング中にこの奇妙な泥水を掘り当ててしまった。
結果現場は液状化し、
ボーリング機等機材を使用不能にしてしまい、
更には周辺地域の地殻変動を誘発した可能性まで出てきてしまったのだ。
当時の現場責任者はショックの為か倒れ、今は入院中なのである。


「そーいや町長さんに戒められたぞ?今度何かやったら訴えるってな」
「偶発的な事故だ。ミスは何もしていない責任も無い、強いて言うなら君の独断専行が」
まーた始まった。
「あーもーまだ大丈夫なんでしょ?それより噂の最新鋭機材見せて下さい!」
「……む」
「ん、そうだな。その方が先だ」

双方爆発前に収まった、やれやれ。松原さんの影響か?
「ではいくぞ、カメラいいか?
 え〜、我々山駆谷地質研究所の技術の粋を凝らした究極マシン!その名も!!」
後ろのビニールシートに手をかける田尾教授。
やけに巨大だ。
……ジェットモグラとかペルシダーとかじゃ無かろうな?
ビニールシートがざっと引かれ、風に吹かれて宙を舞い、現れたのは────


「”Underground Line Sercher”!!略して”ULS”だ!!」




……

………

…………ダサい。


格好もダサいが、名前もダサい。
巨大な銀色の亀をネコ車に乗せたような格好である。


「───その和英辞典適当に引いて付けた様な名前、一体どういうセンスかね」
「な゛っ!!?」
「素直に『地脈線振動探査装置』これを略して、そうだな……”たんちゃん”とかの方が」
「そっちの方がもっとダサいわ!横文字の方が若者にウケがいいんだよ!!」
「ひらがなの愛嬌のある名の方が老若男女に受ける筈だ。若者ばかり気にしてはだな」
またかいな!
いいかげんにしてくれい!どっちこもっちもダサダサだ!!


と、松原老人が様子を見にやってきて一言。

「おお、それがこの前言ってた”モグラの目”でございますか?」


この一言により、めでたくこの最新鋭機械の名前は”モグラの目”に決定した。
あーもーどうでもいいや。早よ仕事させれー。










結局その日の取材は、じみーに終わった。

田尾先生があれだけハデにお披露目したにも拘らず、機械の使用法が
『押して移動して、その場に置いて、モニタを見て調べる』
と、恐ろしく地味だったからである。
野阪先生と田尾教授はそれなりにいいデータが取れたとはしゃいでいたが。
ちなみに機械の原理に関しては、
『様々な固有振動波を地底の特定範囲へと打ち出し、
 その反響・共鳴等を測定してそこから地質状況を分析、判り易く視覚化する』
というものであった。

こういうところだけは装飾過剰である。



その日の夜、雑誌記者もおフロタイム。
冬の風呂は気持ちがいい。
特に今日は身体に溜まり過ぎたあの二人のダミ声が溶けていく。
ちなみに風呂はプロパンガスで、ガス屋さんがここまで配達してくれるそうである。
ご苦労さまです。


さっぱりしてもう寝ようかと寝床のある客間の襖を開けると、
「よろしいですか、その地下生態系なるものは未だ可能性に過ぎません!そんなものを」
「ならばこの大空洞をどう説明する!?単なる溶岩洞では説明が付かんしそれに」
あの二人がまたヒートアップしていた。どっかに永久機関を隠し持ってるのか?

どうも昼間”モグラの目”で採取したデータに関する議論らしい。
既にある種の講義にまで発展してるらしく、周りの学生や助手にまで質問している。
「お!ようやく君も来たか!ささ加われ!!」
どうやら飲んでいるようだ。
誰だ火事にナパーム剤まるごと投げ込んだのは。
「おおおお、飲んでおりますな。さあ秘蔵の地酒”磐落とし”、お持ち致しました」
嗚呼あんたですか松原さん!信じてたのに!!



そして皆酔いつぶれた。
いいんだろうか、まがりなりにも学術研究しにきた連中がこんな事してて?

酔いつぶれ損ねた雑誌記者だけが、月明かりを肴に酒を飲む。

「お強いですなあ」
松原老人が一升瓶を片手に現れた。
勧めに応じて杯を受ける。
「申し訳ありません、ご厄介になってるのにこんなドンチャン騒ぎを…………」
「いえ、こんな山の上で一人暮らしは寂しいのです。今はとても愉しい程です」
また勧められ、ぐいと飲む。
あの地酒だろうか、不思議な香り。



────腑に落ちない事がある。
普通、こういった特殊な場所の宗教施設には、必ず閉鎖的な対応が見られる。
それが普通だ。仕事柄経験はいくらでもある。
しかし下の街やこの松原老人は、少なくとも閉鎖的ではない。
松原老人にいたっては歓迎し、調査行動を進めてさえいる。
普通ならその神秘性の暴露を恐れこうまで歓待・協力はしてくれないだろう。
何故だ?
いやそもそも、あの野阪・田尾両氏の調査・研究の目的さえ、まともに聞いていない。

一体、何を調査しているのだろう?



その質問を、松原老人はにこにこと聞いていた。
やがて立ち上がると、何処からか半纏を引きずり出してきて、こう云った。

「酔い醒ましに外、歩きませんか」







笹薮の原の畦道を行く。

やっぱり寒い。
半纏の下にも着こんで来たが、衣服の隙間から寒さが凍みる。
石につまづき、踵を潰して履いていた靴を履きなおした。
月明かりに、白い息がもやりと光る。
先を行く松原老人の白髪も、月夜の笹原で良く見えた。

────既に酔いは醒めている。何処まで行く気だろう?
「貴方は、この”磐古岳”の謂れはご存知ですか」
「え?……いえ」
坂を上がりながらの会話。やがてその頂上に着く。

「おお、こりゃあ────…………」
語尾は白い息となって月夜に消えた。
凄い。
どうやら駅から見えていた磐古岳の向こう側らしい。
月明かりにぼんやりと二つの山脈が見える。

その山脈の間に、大きな谷間。U字型の広い谷底。
幅は多分今居る磐古岳と同じ位だろう。
丁度、この山が谷の出口を塞いでいる格好だ。
その端々に人工のものらしき光が山脈に沿って並ぶ。多分道路の街灯だろうか。
昼間なら植生や建物に目移りして、地形にまで気付かなかったろう。


「この磐古岳の背後の谷間が、”山駆谷”と申します」


突然の声に驚く雑誌記者。
どうも少しばかり呆然としていたようだ。
────いや待て、”山駆谷”?たしかそれは────
「あのお二人は、この”磐古岳”と”山駆谷”を研究されておるのです。研究所の名前も」
そうだ。あの二人の研究所の名前が『山駆谷地質研究所』だった筈。
「この山と谷の、一体何を…………」
「来歴でございます」



松原老人が、”山駆谷”の夜景を眺めながら語り始めた。

『昔々、お江戸をまだ徳川公がお治めになられていた時代で御座います。
 その頃、”磐古平”の人間は皆、”磐古岳”の上の笹薮村に住んで居りました。
 お山の神さんの力でお里は栄え、極楽浄土と見紛う程で御座いました。
 …………しかしある年、大きな地震いが御座いました。
 山崩れ谷埋まり、沢山の人々が死んで仕舞いました。
 そして、ついに”磐古岳”の親御たる、富士の山でさえ火を噴き始めました』

「富士山?」
「昼間、天気のいい日なら見えます。こちらの方角に」
松原老人が指差す。”山駆谷”の遥か彼方だ。

『火を噴き上げ、荒れ狂う富士の山にお山の神さんは恐れをなしました。
 炎がお山に迫ったその時、お山の神さんは驚いて、
 足を上げ泡を喰って、走って逃げたので御座います』



────走った?

────走って逃げた?
この、足元の山が?


「左様で御座います。その末目の前に海が迫ったので、慌てて止まったので御座います」
「…………何処から、何処まで走ったって?」
松原老人が、”山駆谷”の彼方を指し示す。
「この先の、富士山の麓から、この海辺の”磐古平”まで。”山駆谷”はその時の跡です」
Uの字型に彼方から続く谷。
この谷を、山が走って大地を抉った跡だと?
「それを、確かめたいのです。故に、あの方々をお招きしたのです」



頭がくらくらしてくる。
まだ酒が残っていたのか?それとも寒さで風邪でも?
足許が揺らぐ。
まるで船に乗っているような。いや、この場合動いているのは────この山か?
…………”山駆谷”の夜景が、ぐらりと揺れた。
もしやこの山────今でも?




「悪い風に、当たられましたか」
松原老人の声がする。

「お山のご機嫌も悪いようです。もう今晩は早うお休みになられませい」








「何だ、そんな事も知らなかったのか?」
「記者なら事前に一通りの事は調べておく必要が有ると思うがな」
「………すいません」
翌朝。
雑誌記者は狭苦しい洗面台で決死の場所取り争いを展開する野阪・田尾両氏に、
昨晩の松原さんの”山走り”の伝説の事を聞いてみた。
どうも知ってて当然と思っていたらしい。
「で、お二人はどう思ってるんです?その────」


「山が走るわけないだろう」
先に答えたのは野阪先生。
「もし富士山の火砕流なんかで流れたとしても、こんな大きな岩塊が動く筈は無い」
「じゃあ、”山駆谷”は?」
「あれはフィヨルドだよ、氷河に削られた谷。北欧でよく見られる地形だ。
 その氷河が運んできた土砂でこの山が出来たのさ」
成る程、そう考えればそうかもしれない。いたって常識的だ。

「だが、この山は堆積層では出来てないぞ?」
反論するのは田尾教授。
「殆どが火成岩だ。しかもこの山と”磐古平”周辺の地質は全く違う。
 ここではない別の場所から運ばれてきたとしか思えん」
「運ばれてきたって、どうやって?」
「ふっふっふっふソレなんだがね、私はあるコペルニクス的仮説を検討中なのだよ」
どういう意味ですかそれ?

「仮説ではない、単なる迷信だ。大学教授でも頭がカーニバルな人の話は信用するな」
「前例に閉じこもりきりで全く前に進まないゆとり教育の実践者もどうかと思うがなぁー」
「何だと?」
「何を!?」
あーもーまた始まった。某ネコとネズミかこの二人は。
てゆーか二人とも!こんな狭い場所でヒゲソリ途中でカミソリ持って暴れないで下さい!
「おお、お二人とも朝から仲良くケンカしてますなぁ」
松原さんあんたも!止めるとかして!!



結局険悪なままの雰囲気で、また今日も調査に赴く。
しかも野阪先生も田尾教授も、調査中であろうともお互いを無視したままなのだ。
最悪の状況である。
「全く世話の焼ける…………」
取り合えず取材続行。田尾教授に仮説とやらを聞いてみる。

「ん?んん?そんなに聞きたいかね?んっふっふっふっふっふっふっふっふっ」
「いや、もったいぶらないで結構ですから」
「先ず君────あの鉄臭い赤い泥水、一体アレは何だと思うかね?」
「え?そりゃその、鉄を含んだ土の溶けた地下水とか……」
「違うのだな。私も先日、電子顕微鏡で確認したばかりなんだがね」


赤い泥水の正体。
それは、細菌群の死骸の一種だというのだ。
正確には超好熱・好圧細菌の生産物や死骸が
地表に出てくる過程で分解・変化した結果生まれたものらしい。
「細菌って、地底深くにですか?井戸水の中とか、鍾乳洞とか────」
「そこにも細菌は居るが、彼らの棲家はまた別だ」
彼らの棲家は、何と地底深くの岩の中、そのひび割れや割れ目の中。
地熱と岩石による高圧力の中で、彼らは繁殖していたのだという。

「でも、エサは?細菌だって何か食わなきゃ生きてけないでしょう?」
「そこだ。
 我々は普通、生物というのは太陽が無ければ生きて行けないと思っているだろ?」

基本的に、生物は太陽光線を元にしたエネルギーによって生きている。
洞窟や深海の生物でさえ地上生物の生産したお余りで生きているに過ぎない。
常識的には。
だが、一部の深海において太陽による生産物に頼らない生態系が発見されている。
海底火山の熱水噴出孔で、硫黄等の化学物質からエネルギーを生産しているのだ。
詰まる所、ソレと同じ。
「地底には様々な化学物質や高圧力、更に地電流等エネルギー源は山程存在する」
「つまり地底にも細菌が居る、と。で?」
「ん?何だね?」
「いや、それと山が走るのとどういった関係が?」


「君もニブい奴だな。植物と同じ食糧生産者が存在するんだぞ!?」
「ということは?」
「地底にも、それらを喰う生物が存在するかもしれん、ということだ!地底生物だよ!」
「……はあ」
何だか、同じような理屈を前にも何処かで聞いたような気がする。

先生が云うには、古来より地底から現れては地底に消える怪物の話は多いという。
姿が確認され、写真にも撮られながら正式に記載されたものは数少ないのだ。
それらの怪物の実在が、この地底細菌群の存在により証明できるらしい。
「えー、大体分かりました。先生の仮説」
「ほう?云ってみたまえ」
「要するにですね、地底怪獣が山を背中に乗っけて走ったと。そういう訳ですね?」
「その通りだっ!分かってるじゃないか君ィ!!」
あー成る程、こりゃトンデモですねー。

……野阪先生が反発する理由、少し分かった気がしてきた雑誌記者である。


まあ取り合えずお仕事である。も少し詳細の方も聞いてみた。
『私の推測によれば、この”磐古岳”を動かしたのは1965年に富士樹海で目撃された
 ”ゴルゴス”という岩石怪獣であると考えられる。理由は、先ずこの”磐古岳”の
 岩質がゴルゴスを構成していた岩石と酷似しているという事、
 次にゴルゴスの体組織からあの赤い泥水と同じような物質が採取されている事、
 更に”磐古岳”が走ってきたという富士山麓はゴルゴスの出現地でも
 あるということ、最後に────』

はいはいスルー華麗にスルー。
テープに録音したから後で適当にまとめとこ。




突如、頭上を叫ぶ嵐が通り過ぎた。

雑誌記者が驚き上を見上げると、まるで黒雲のようにカラスの群れが過ぎ去っていく。
「ほおう、この山ねぐらにしてるカラス共じゃないか」
先生方には馴染みらしい。
それ程動揺していないようだ。

────と、渦巻く黒雲から一匹、舞い降りてきた。
目の前に着地すると、物怖じもせずにひょこひょこと近づいてくる。
「おお?何だ、人なれしてるな!」
田尾教授も中腰になり見物する。雑誌記者はネタにしようとカメラを取り出した。
すると、




『 ニ ゲ ロ 』

「…………君、何か言ったか?」
「……いえ」



『 ヤ マ カ ラ オ リ ロ 』




ファインダー越しに、カラスが喋った。

直後、カラスは方向を変え飛び立つ。
その際見えた足の数は、明らかに三本だった。



あっけに取られる雑誌記者と田尾教授。
見る間にカラスの群れは再び渦を巻き、何処かへと飛び去っていった。
「……あの、先生」
「…………いかんな、野阪先生の方と合流しよう。
 こーいう妙な現象に行き遭った時は、仲間と離れずに立ち去るべきだ」

向うで作業していた野阪先生の方へ向かうと、そっちでも騒ぎが持ち上がっていた。
学生が数人半狂乱になっている。
「おい?如何したんだね一体」
「…………ああ、田尾教授。そちらで妙な事は起こらなかったか」
一体何が有ったのか?信じられないといった面持ちの野阪先生が話してくれた。

「そこの学生数人がね、一つ目のサルに出会って、『帰れ』と云われたそうだ」


野阪・田尾両氏の意見の一致により、早々に荷物を纏める事となった。
「「山で妙な現象に遭った時は、早々に引き返した方がいい」」
二人とも、どうやらこういう現象に慣れているようである。



だが、帰り着いた松原さん宅にて更なる話が入ってきた。
松原さんが出会い頭に一言、

「前の現場監督さん、容態が急変したそうです。早々に行かれた方がよろしいかと」



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