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スナムシヨヲドレ









冷たい雨上がりの午後。

雲間から柔らかな冬の陽光が光の柱となって降りてくる。


雨露に光るは都市の郊外の丘陵地帯に造られたベッドタウン。
半端な幅の坂道の中腹に、無理やりしがみ付くように中学校が建っている。
学校脇の道から眺めると、傾いた陽の光が濡れた窓ガラスにきらきらと反射していく。
と、三階の教室で反射の波は止まった。窓が開いていた。

窓際の席に、少年が一人。




頬杖を突いてぼんやり外を眺める。

黒板を見れば今は数学の授業中らしい。ひょろ高い教師が甲高い声で何か叫んでいる。
────が、勿論全て耳スルー。

午前中は雨の為肌寒かったが、日が差してきてからほの暖かい。
どこからかヘタな合唱が聞こえてくる。
隣棟の音楽室からだろうか。
それをBGMにして、暫く運動場の下の学年達のサッカーを観戦する。
例によって運動場は泥の海だ。
きらきら光って眺めるには申し分ない風情だが、生徒達は最悪この上無いだろうに。

泥んこサッカー観戦にも飽きたようだ。
輪唱しすぎな合唱も眠気を誘う。

目線をずらすと、学校のフェンスの向うを白いものが移動していく。
────白い傘のようだ。
それに白いロングのワンピース。
ふいと見えた傘の下は、最近では珍しい流れるような長い黒髪だ。
雨上がりの黒いアスファルトの上を歩く白い人影は、否応にも良く映える。
この世のものでは無い様に。

そう、雨上がりの天使だ。夢幻の世界からの使いに違いない。
ご意向通り天の陽光と流れる雲が織り成す芸術に見とれながら、うたたねとでもいこう。
少年もそう思ったに違いない。
彼が重い半眼できらきら光る空へ眼を向けると、





妙なものが居た。


始めは凧だと思った。
もしくは千切れた吹流し。
だが違う。半透明で、ふわり、ふわりと自らの意思で移動しているように見える。
円筒形の身体には幾つか節が有り、その先には半透明の巨大な目玉みたいなもの。

────あーあれだ、疲れた時に眼の中うろうろ泳ぐ奴だ。
そうか俺疲れてんのか。
昨日の夜は二時までネットしてたしなぁ。
でも、それにしては始めて見る種類だ。しかも動きに合わせて大きさまで変わってる。
そいつは体の変な所にある節をよいせよいせと動かして、

窓のすぐ外まで降りてきた。

頭の横にある虹色のヒレの様なものを動かして、こちらを見ながらホバリングしている。
ゆっくり近づいてきた。
手を伸ばせば触れそうな距離。
体の詳細までよく見える。
そいつの体内では、原理は知らないが歯車やトルクみたいなものがぐるぐる廻っていた。
そっと手を出す。
差し伸べられた手に反応したか、掌の方を向いた。
もう少しで届くかもしれない。思わず身を乗り出す。
そいつの鼻先に今にも触れそうだ。

あとちょっと。

その刹那。


そいつが口を何処にそんなに仕舞ってたのかという位、かあっと開いて────









バシッ。

教科書で頭をはたかれ、思わず少年は我に帰った。
「何ふざけてんだ。俺の話ちゃんと聞いてたか!?」
数学教師がより甲高い声で説教を始めたが、超音波なので少年の耳には届かない。
さっきまでの光景が瞼に焼きついていた。

雨上がりの光の柱。
白い傘の女性。
半透明の凧みたいなやつ。
まだ眠い。眼を瞑ればあの光景の続きが見られるだろうか。
ぼんやりと眼を開けたまま、少年はあの幻想世界の光景を夢想する。

と、急に周囲が騒がしくなった。
クラスメート達が騒いでいる。
何人かが窓際に走りより空を見上げているようだ。教師の制止も意味が無い。
やがて教師自身も窓から身を乗り出し、唖然としている。
隣の教室からも騒ぐ声。他の教室も同様らしい。
少年も窓辺へ行く。

運動場の体操服達が全て動きを止めていた。
へたくそな合唱子守唄も止んでいる。

皆がしきりに指し示すので、空を見上げた。





雨上がりの空の中。
天から降りてくる陽光の梯子。それを歪め遮るモノは、


枝葉とも腕ともつかぬものが折り重なる歯車。
眼とも触覚ともつかぬものを回転させる蝦。
羽とも肢ともつかぬもので出来た鯨。
傘とも鰭ともつかぬもので泳ぐ貝。








半透明の異形たちが天空を舞い踊る。
その化物どもを祝福するかの如く、午後の空は異様な赤紫色に染まっていた。









その日は、えらく冷え込んだ朝だった。
頭痛の激しい雑誌記者は、口に水を含んだままTV画面を見て硬直した。





『これは昨日の夜、福島県いわき市近郊で撮影された映像です。ご覧の通り───……』

時刻は昨日の19:15、冬の夜だというがそうとは思えない。
空の一角が、まるで夕焼けのように赤紫色に光っている。
────その中を、奇妙な飛行物体がさざめき蠢いていた。
半透明で生物的な動きにも拘らず、どこかフォルムに機械的なものを感じさせる。
それが大量に群れていた。
編隊を組むといった行動は取らず只ごわごわと群れている。
航空自衛隊の出動も有ったようだが、現場空域到着するも補足出来なかったようだ。

『……──本日は自衛活動評論家の堺一成にお越し頂いております。今回の件ですが』
『はい、まず航空自衛隊のスクランブルが一般人の目撃からかなり遅れた理由ですね』
コメンテーターが何故か自衛隊の指揮系統について語り始めた。
全く関係無いような気がする。
今度は有事立法と自衛活動の解釈について言及し始めた。
朝からキッツイ独演会である。



「よりにもよって、いわき市かよ…………」
こくりと水を含む雑誌記者。
実は昨日、福島県にて再度調査活動を始めた地質学者の田尾教授とともに、
いわき市の歓楽街で呑みまくっていたのである。
とりあえず翌日の休みを楽しみたいのでその日の内に帰ったのだが、
休日である今日、ひたすら頭が痛い。
吐き気もする。
完全二日酔い。
さらにマズイのは、そのいわき市行きは編集長のお墨付きだったということである。
『写真の一つでも取ってきたかコラ?会社の経費で呑んで来ただけじゃねーだろーな!』

……────休日返上でそんな電話が掛かってきそうだ。
口の中で温くなった水を弄ぶ。
頭の中で変な小鬼がツイスト踊ってる気分だった。
最悪の休日になりそうな気がする。



ブーン。
突如の怪音に雑誌記者は水をふき出す。鼻の中にゲロ風味温水が侵入!
「う゛、ふんぐもぉおぅ」
鼻から脳天まで強烈な刺激に貫かれ泣きながら電話を取る。
まさか編集長マジですか!?


メールで、変人女からだった。
一瞬安堵し、次の瞬間悪寒が走る。
編集長の休日連絡以上に変態的な事情に巻き込まれるような気がしてならない。
そっと開いて確認する。

『件名:特ダネよこすからこっちに来て
 内容:いわき市の怪現象関連。北海道釧路市砂飛野にて待つ。返信せよ』




うん、無視しよう。





ブ──ン!
「うぉう!?」
手の中で震えてびっくり。開いてみればまた変人女。

『件名:早く返信しろ
 内容:昨日あんたがいわき市で呑んでたネタは上がっている。さっさと返事しなさい』

あーもー、ムシムシ。


ブ───ン!!ブ───ン!!
またかいな!一応開いてみる。

『件名:少しおっぱいがふくらんできたHにキョウミ津々の14才女子ですっ♪
 内容:このメールを開いてしまった人は早急に北海道釧路市砂飛野まで来て下さい。
     さもなくば添付した写メが貴方の知り合い10人にバラ撒かれることになります。
     まず差出人に返信をお願いします』

チェーンメール(偽)かよ!ちっともチェーンじゃないけど!ヒマなんかお前は!!
突っ込みながら画像を開いて見る。
鏡で見慣れたアホ面がどっかのキャバクラでオネーチャンのふとももに手を出していた。
…………この撮影角度と位置は、もしかして田尾教授か?
じゃなくて!何でアイツがこの写真持ってる!何時の間に田尾教授と知り合った!?
しばし現状分析に脳細胞をフル稼働させた後に、雑誌記者の結論。
「やっぱムシだ」
ヤッてみるならヤルがいい。
メールの脅し程度では俺を動かそうなぞ片腹痛いわ!!



ブ────ン!!!ブ────ン!!!ブ────ン!!!
いつまでたっても鳴っている。
これでメール4、5件位か?つか何あいつストーカー?もしかして訴訟OK?

食欲も無いので寝っころがって二度寝。着信の振動がうるさい。
耳を枕で塞ぐ。まだ聞こえる。
頭を布団でくるむ。まだ聞こえてくる。
頭痛が痛い。
嘔吐で吐きそう。
しかも便意が…………
「あ゛────も゛────!!電源切っちゃる!!」
かちゃりと携帯を開くと、新着の最後に編集長からのメールが。開いてみる。
『件名:電話してこい
 内容:こっちに電話してこい』




…………嫌な予感がしてきた雑誌記者。
残りのメールも開いてみる。あちこちから来ていた。

変人女から。
『件名:エロ魔神に鉄槌
 内容: 配 布 完 了 』

おかじーから。
『件名:わっふるわっふるry)
 内容:どこの娘か教えてエロイ人』

小坂から。
『件名:おめでとうございます
 内容:結婚式には呼んでください(^^)ノソ』

田尾教授から。
『件名:人生の墓場にようこそ
 内容:まさか一晩でモノにするとは思わなかったぞ。
     でも他にもカワイイ娘居たのに何でこの娘にしたんだ?理解できん。
     人の趣味だからしょうがないが。仲人居ないなら知り合いを紹介してあげよう。
     大切にしたまえ』




どんなメールバラ撒いたんだあのバカ女は────!!


愕然としているとまた着信。今度は編集長からの通話である。
『おう』
「あ、オハヨございます」
『何で電話したか分かってるな?』
「大体、多分」
『はっきりしねえなー』
「すいません」
『いいか、俺はお前を信用している。あのメールの内容も大ボラなんだろ?』
「はい」
『だろうな。あの女のやることだしちゃんと電話して口頭で確認した。事情も聞いている』
「そうですか」
『あとで皆に俺から説明してやる。ちゃんと飲み代も経費で払ってやるから』
「ありがとうゴザイマス」
『だからお前、釧路行ってこい。な?』

「へい」




…………結局そういうオチかい。
通話を切った後、雑誌記者は脱力スライムと化したのであった。








同日正午過ぎ。
冬の雨がしとしとと降り注ぐ成田空港。

搭乗待ちの乗客たちの目の前で、突如全便が赤い欠航の文字へと変わった。
受付に食って掛かる中年男性。
困り顔で掲示板を見上げる若い夫婦。
子供がスーツケースに乗っかりながら『ねぇおとーさん、まだぁ?』と聞いている。



同時刻、同空港管制塔。

「────影が消えたのは本当か?」
「はい、出現から約25分で突然消失しました」
管制官の前のレーダーディスプレイ。
こちらに接近してくる影が二つ確認できる。
「旋回飛行していた機からの報告では、赤紫色の光が確認できたと」
「……まさか、UFOとか抜かしてんじゃなかろうな」
「”未確認飛行物体”の略でしたらその通りです。”空飛ぶ円盤”でしたら未確認ですが」
「まあなあ────ん、そろそろか」
「そろそろです」

冷たい霧雨に覆われた空港。
その上空を、爆音を立てて二つの小さな赤い光が駆け抜けていった。



1時間後、航空自衛隊三沢基地。

ワックスで磨きぬかれた廊下を、二人の男が会話しながら進む。
「今月に入って46回、発生当初からのを合わせますと70回は超えます」
「で、いずれの場合も接触前に退去、もしくは消失か」
「民間側の接触例は幾つか報告されているようです。いずれも目撃だけですが」
「いわき市の例が最大か」
「そのようで」
「周辺情勢との関連は」
「確認できません」
「意図の推測は」
「────今の所、不明としか」
長い廊下を立ち止まり、扉を開ける。
「市ヶ谷からも憂慮の声が届いている。ホークアイも使用許可が下り次第飛ばせ」
静かな建物内に、強く扉を閉める音だけが響いた。






同日午後、とある駅の改札口。

「────はあ!?電車で来い!?」
『そーよ。今TVでもやってたけど、何か国外国内全便欠航が相次いでるって』
「何だよ、このおしめり程度の雨でか?」
『この程度で休むのはどっかの大王とあんただけよ』
「欠航解除を空港で待ったほうが早いんじゃないか?」
『止めときなさい。いい?これは忠告。空港でホームレスが嫌なら素直に電車来る!』
「…………へいへい」
『ま、今空はヤバいしね』
「は?」
『こっちの話。アタシも今釧路向かってるからアタシより遅れんじゃないわよー!!』
切れた。
……何じゃそりゃ。自分から呼び出しといてまだそこに居ないだと?
取り合えず手元の切符を見て、雑誌記者買い直しに走った。






同日夜、21:25分頃。
成田発国内線福岡行き臨時便機内。

若い夫婦がようやく居心地を落ち着けていた。
窓際の席では娘が舟を漕いでいる。
欠航の文字を見て新幹線にしようかとも迷ったが、待って正解だった。
結局夜になって航空会社が臨時便を出したのである。
娘は搭乗時えらいハイテンションだったが、離陸前に電池が切れたように眠り始めた。

────ようやく田舎に帰れる。
故郷の父母に、自分の良人と愛娘を紹介できるのだ。
ようやくの安堵感と期待感を胸に、父親は一休みしようと席を倒し、アイマスクをかけた。










…………────窓の、

外に。



娘が眼を覚ます。

一応明かりが付いているものの周囲の大人達は皆眠っていた。
しばしキョロキョロ周囲を見回していると、





………───窓の、
外を、


赤紫の光が走った。
娘は思わず声を上げ、窓に張り付く。








同日夜21:40分頃、同便コクピット内。

既に操縦席周辺は赤紫色の光に照らされている。
怯えた声で必死に管制塔へと連絡を試みる機長。
副操縦士は計器類を震える手で操作する。





……───窓の、
外から。


蠢いている。
近づいている。
仮にもジェット機であるはずのこの機体の速度に、あれらは軽々と付いてくる。
航空力学的に有り得ない形のあれら。
機長の長い操縦経験でも見たことが無い物体。
接近してきた。
円筒形の身体に幾つか節が有り、その先にはこれまた半透明の巨大な目玉。
コクピットの窓に、まるで止水中を泳ぐが如くゆったりと近づき、
窓にその奇妙な頭部をこつんとぶつけ、
かあっと口を開き、

そのはるか向うから、

巨大な半透明の枝分かれした触手が伸びてきて────────












同日夜21:45分頃。

成田発国内線福岡行きの臨時便が、紀伊水道沖上空にて消息を絶った。









徳島県のとある田舎の海岸。

夜も遅いのに、何件もの民家が明々と電気を付け、何人もの人々が外に出ていた。
老人達が見晴らしのいい場所に出て、空を見上げてはボソボソと話し合う。
……南の空が、異様に赤く光っているのだ。
何処か上空から、低いジェット音が響く。




同時刻、航空自衛隊中部方面隊司令部。

「旅客機からの応答は?」
「未だ有りません。20分以上前に例の物体群の影に突入したままです」
「新田原からF15二機上がりました。接敵予想時刻22:25」
「先ずは例の物体群、及び旅客機の行方の確認だ。対応は追って指示する」
レーダーディスプレイに表示される物体群。
既に紀伊水道から室戸岬沖へと移動している。
────この怪物体群がこれ程まで長時間出現しているのは初めてだ。
全国で相次いでいる怪物体へのスクランブル騒ぎ。
初の接触成功となるかもしれない。
司令部内は色めきたつ。




同日22:15分頃。高知上空の夜空を駆け抜ける二つの機影。

『”ホライゾン”01・02、目標なおも移動中。接敵予想時刻が早まる可能盛大、減速せよ』
眼下の海岸線を超え、海上に出る。
少々曇っていた。
「司令部、積雲が多くて視界が悪い。目標はまだか」
『目標との座標差ほぼ無し、高度差約100m、下方警戒せよ』
100m下といえばほぼ雲の中、F15二機は危険を承知で降下を始める。


と────

真横の積雲の向こう側がが赤紫に光った。
機首を挙げ速度を落とす。積雲を中心に旋回飛行に移る。


一瞬、空に巨大な目玉が出現したかのように見えた。


よく見ればそれは目玉ではない。
巨大な半透明の円盤が、積雲の向うから姿を現したのだ。
円盤の縁は定期的に脈動しながら回転している。
縁には繊毛のような流れる光。
その後ろから、円盤より小さめな半透明の物体がわらわらと現れてくる。凄い数だ。
F15は機首をそれらの方向へ向け、積雲の向こう側へと回り込む。





同日22:20分頃、航空自衛隊中部方面隊司令部。

『な…………!?』
パイロットの驚愕の声が響いた。
「”ホライゾン”02、どうした?何が有った? ……────応えろ02、応答せよ!」
暫くの絶句の後、返ってくる応答。
『………旅客機が……!!』








同時刻。
F15の眼下に広がる光景。



旅客機が、怪物達に貪り喰われていた。

既に胴体中心からひしゃげ、右翼はもぎ取られている。
周辺には奇妙な甲殻類や異生物を思わせるモノ達がたかり、胴体や羽に取り付いていた。
彼らの姿は、まるで顕微鏡下の微生物達を思わせる。
ガリガリバキバキと音が聞こえる。
金属であろうと何だろうと噛り付いているらしい。
千切れた羽から空中に飛び出した燃料にさえ小さな怪物が飛びついている。

────ひときわ大型の巨大な顎を持つ怪物が、胴体へ体当たりと同時に噛み付いた。
ひしゃげた部分から旅客機が真っ二つに折れる。
ぼろぼろと旅客機の中身の、
椅子や、
荷物や、
内装や、

……────悲鳴を上げる人間達が、夜の雲海へと消えていく。




同時刻、司令部内。

『司令部!!武器使用許可を!!』
管制官の耳に、怒りの激情が篭ったパイロットの声がこだまする。
「”ホライゾン”02、落ち着け、詳細を報告せよ。目標は何だ?現状報告せよ」
『目標は生物です!!現在旅客機を捕獲し破壊…………クソ!弄んでやがる!!』

「自身の防衛のみ射撃を許可する。撃退の必要は無い」

突如、司令部内に数人の男が入ってきた。
自衛官服だけでなくスーツ姿の者も混じっている。
お偉方らしい。
「二機とも早急に当該対象から離脱し撤退、帰投させろ。じき前線が通過する」
「………前線?しかし」
訝る管制官達に、横に居たスーツ姿の男が高らかに意見する。
「貴方々に天気図の読める者は居ないんですか?寒冷前線、即ち雨雲ですよ」




同日22:25分頃、太平洋高知沖上空。

「司令部、もう一度頼む。撤退か?」
『繰り返す。”ホライゾン”01・02、撤退、帰投せよ。射撃は自機の防衛のみに限定』
「このままにしろと云うのか?」
『攻撃の必要無し。繰り返す、撤退し帰投せよ』
────赤紫の光の中を、小さな雷のように機銃の弾道が走った。
旅客機に取り付いた怪物達の内数匹に命中、力なく旅客機から離脱する。
「内藤!?何故撃った!!」
『自衛ですよ、自衛』

一挙に怪物達の関心と視線が、空を裂き飛び回る飛行物体へと集中する。
怪物達が次々と旅客機の残骸から離れ始めた。
無残に真っ二つに折れ、上半分もボロボロに削り取られた旅客機であった物体は、
怪物達の手を離れると、崩れるように夜の深淵へと落ちていった。
複雑な心境で光景を眺める二機のパイロット達。






ふいと、コクピット内の赤紫の光が和らぐ。


────半透明の、
影が。




同時刻、
司令部内に入った通信に悲鳴が混じる。

「どうしたした”ホライゾン”02、何が有った!?応答しろ!」
もう一機の方からの通信が入った。
『こちら”ホライゾン”01!司令部、02にデカいのが一匹取り付いた!内藤は無事か!?』
動揺の広がる司令部内。01からの02現状報告が続く。
『02のコクピット上部に取り付いている!脱出は不可能、援護射撃も危険すぎる!』
レーダー上は未だロストしていない。張り付かれているだけなのか?




同日22:30分頃、高知沖。

「うわあああああああああ!!?」
『02!落ち着け内藤!!大丈夫か!?まだ飛べるか!?』
”ホライゾン”02コクピット内。
フロントガラスの真上に半透明の巨大な怪物が乗っかっている。
殻の間から幾つもの節足がわらわらと伸びてきて、しきりにフロントガラスを突付く。
たまに強い力でガラスを叩き、引っ掻いて耳障りな音を立てる。
────ガラスが白く濁ってきた。引っかき傷で曇ってきたのだ。

ピシリ、ピシリ。
ガラスの軋む音が聞こえる。やがてフロントガラス全体を掴み、取り外そうとしてきた。
「……離れろ!はなれろォ!!?」
02のパイロットはやたらめったらに機体を揺り動かした。
射撃も行うが位置が的外れの為かすりもしない。
パイロットは既に恐慌状態に陥っている。




同時刻、司令部内。

スーツの男が冷徹に応える。
「もう片方も巻き込まれたら大変です。離れて様子を見させたほうがよろしいかと」
管制官の疑念の視線に、長官が頷きで答えた。

『司令部、だが02がこのままロストする可能性がある。見過ごすのは』
「繰り返す、離れて現状を監視せよ。もう直ぐの筈だ」
『だが、もうすぐでもこのままでは────────…… …、 あ』






同日22:35分頃、高知沖上空。

フロントガラスに、ぽつぽつと水滴。
周辺の大気が一気に薄暗くなる。赤紫の光が急速に萎んでいく。
雨だ。
遂に前線が、空域に到達した。

”ホライゾン”02のフロントガラスを引っ掻く力が急に弱まる。
代りに雨粒が叩き始めた。
「……──これは」
怪物がずるりとその巨体をF15の上からずらし、力なく節足を波打たせながら、
背中を下にしてゆっくりと落下していく。
強い風に煽られた。思わず我に返り機体を安定させる02。
飛行可能なようだ。
周囲を見回すと、全ての怪物達が力を無くしたように動きを弱め、ゆっくりと堕ちていく。
再び強風。
まさに風に煽られる気球のように怪物達は吹き飛んでいった。

『”ホライゾン”02、無事か』
「こちら”ホライゾン”02、操舵系異常無し、計器以上無し、燃料漏れ認められず。イケます」
『了解、”ホライゾン”01、02両機とも帰投せよ』

大きく旋回し、帰投ルートに入るF15二機。
既にあの奇妙な怪物達は、夜空から雨垂れの向うへと消え去っていた。





同日22:40分頃、落ち着きを取り戻した司令部内。

「────本当に、”雨”が弱点なのだな」
暗い室内で声が響く。
「正確には”水”です。彼らは液状の水を被ると急速に生体構造が崩壊するんですよ」
「”水”を弱点とする生物か。この眼で見てもまだ信じられんが……」
「事実ですよ。それより、長官」
長官と呼ばれた白髪の男が、思い切り溜息をつく。
「了解している。この事態が人為的、──即ちテロ行為である、と認識していいのだな?」
「その通りです」

「君、名前をはっきり聞いていなかったな。失礼だが………」
「ああ、ではもう一度」
スーツの男が前に出て、名刺を差し出す。ずらずらとやけに肩書きが並んでいた。





「この場に於いては”内閣特務調査部分室”所属、湯ノ浜昭信と申します」









その翌日の朝、JR仙台駅構内の、
キヲスク前。





「…………」
「……………………」

「やほ」
「………何でお前がココに居るんだ」
「ん?駅弁買いに」
「…………じゃ、なくて」



雑誌記者が変人女に出会っていた。

────何故だか朝日で白っぽい駅の構内。
運休の赤文字が光る電光掲示板の上で、鳩が二羽ホルホルと鳴いている。
雑誌記者自身は今朝早く東北新幹線に飛び乗り北海道に向かう予定だったのだが、
仮眠して起きてみたら仙台で運休になっていたのである。
どうも線路上で重大な事故が発生したらしいが、今の所詳細は不明。

「ん?あーあたしも似たような感じだわ、新幹線運休になっちゃって。ホラあの車両」
変人女の指差す先には、どーにも見覚えのある列車。
「同じ電車かよ!!」
「あらそ?気付かなかったわ」


そこらの駅員に聞いてみた所、運行再開の目途は未だ立たないとの事。
「取り合えず外出ない?釧路にはできるだけ急いで行きたいし」
「釧路のスナ………何とかだったか?一体其処に何が有るんだ?」
「”砂飛野”。行きゃあ分かるわよ」
そう云いながらホームの階段へ向かう変人女。白い息を手に吹きかけた。
相当寒い。
「まあ────ちょいと縁が有ってね。気になんのよ」

精算所で差額分払い戻しをしてもらう。
変人女がこんな所でまで揉めていた。駅員に他の交通手段が無いか聞いてるらしい。
「ちょ、お前いい加減に………」
「だから高速バスとかタクシーとか無いんですか運休はそっちの責任でしょー!!?」
朝っぱらからの超絶クレーマーに駅員が泣きそうな顔をしている。
こうなりゃ止まらりはしない。
「…………早よしてくれよ」
おさまるのを待ちながら、暇つぶしに周囲を見回す雑誌記者。
通勤客でごった返す構内。
向うに家電会社の宣伝らしい大型TVがきゃいきゃいとCM曲をふりまいている。
どうも、周辺の在来線に影響は無いらしい。

では───────……一体、運休の原因は何なのだろう?



ふ、と世間じみた周囲の情景に、違和感のある物体が入った気がした。

────白い布、もしくは衣服。
一瞬、何かの本で見たギリシャ神話の女神が脳裏に浮かぶ。
ソレは通勤客の人込みの中、改札へと消えた。

何かと思いながら背伸びして改札の方を覗いていると、背中に誰かぶつかった。
「あ!?あぁ────申し訳ない」
振り向くと、くたびれた背広の青年。どうも走っていたらしく汗だくだった。
素早く一礼すると、妙に挙動不審に辺りをキョロキョロ見回す。
またこちらを向いた。
「………すいません、この辺で白い服の女性見ませんでしたか?」
「へ?い、いえ」
「あ、ならいいです。有難うございます」
何回もペコペコお辞儀すると、その男は人込みの中をエスカレーターに向かっていった。



「────何だ一体?」
頭を掻く雑誌記者。
変人女は最前列でまだギャアギャアハゲワシみたいに喚いている。
と、向うの大型TVが目に付いた。何かの朝のワイドショーらしく、司会者が呼びかける。

『次は仙台の、小畑さーん!』
胡散臭いパチモンヒーローが出現しそうな効果音と共に仙台駅前の人込みが映った。
どっかで中継しているのだろうか?
更に地域の最新ニュースとして、何処かの田園地帯の映像が映る。

「…………おい」
「あーハイハイ!」
「おいちょっと」
「あーんもウザい!黙れ!」
「おい、あれ見ろ」
「だ────ッツ!何よ一体!!」

雑誌記者の指し示すTVに、大型タンカーの映像。
ただしそのタンカーは右半分だけで、田んぼの中の線路の上に乗っかっていた。
失われた左半分は田んぼ中に散らばっているらしい。
『この事態により、JRは東北新幹線を仙台─盛岡間を前面運休。復旧のメドは……』

雑誌記者に掴みかかった姿勢で固まる変人女。
「……────少なくとも、JRのせいじゃないよな?」





取り合えず、駅ビルの喫茶店で一服する雑誌記者と変人女。
「…………落ち着いたかー」
「ふん」
「ンがッ」
スネを蹴られる雑誌記者。
その怒りは照れ隠しなのか?それとも本気なのか?

兎にも角にも休憩。二人ともコーヒーを注文した。
────雑誌記者の背後からさっきのニュースの続報が聞こえてくる。
本当は見たかったのだが、変人女が真っ先にTVが見える席を占領してしまっていた。
しょうがなし。キヲスクで買った新聞を広げると、
「よこせッ!」
文化面以外取り上げられた。もうどうしょうもないので首を捻ってTVを見る。
正直首つりそう。

あのタンカーの事件は今日の未明、雑誌記者が新幹線に飛び乗った後起こったらしい。
目撃証言としてほっかむりの老人が畦道でインタビューを受けている。
妙に早い朝焼けだと思って外に出たら、半分こタンカーが降ってきたそうだ。
────と、ニュース速報がテロップで流れる。
昨夜高知沖に墜落した飛行機の残骸が発見され、乗員乗客は絶望的、との事。

変人女は新聞を眺めながらTVを見て、煙草をふかしつつしかめっ面して考え込んでいる。
器用なやっちゃ。
「それ飲み終わったらすぐ出るわよ。とっとと釧路に行かないと」
「────それだ。さっきも云ってたが釧路に何が有る?縁って何だ」
……沈黙。
「まさか、あのタンカーとか飛行機とかの事故と関係してんじゃ無いだろうな?」
「事故じゃないわよ」
ぽつりと呟く。


「多分、故意」




突如、ガラス窓の外を誰かが叫びながら駆け抜けた。声だけがドップラー効果で耳に残る。
『……逃げろ!!皆逃げろ!ニゲロ───────…………』
声のした方を見遣る雑誌記者。
今のあの背広と声。確か、あのぶつかってきた青年では無かったか?
「んー?何今の」
変人女もしかめっ面のまま振り向く。その瞬間、

赤紫の光がざあっと屋外を駆け抜け、
次の瞬間、



フロア、いや建物全体に衝撃が走った。





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