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侵略する海






迫る夕闇。

荒れた波の音。ゴツゴツした岸壁。
その上には古ぼけ、海鳥の糞と潮飛沫により汚され、されど尚も白無垢の建造物。


ついと光が走った。一瞬だけ強く輝く。
建造物の頂上から、周期的に強い光が発せられている。

それは即ち、そこが灯台であるという事。



その灯台の木製の扉を開き、住居らしき部屋を過ぎると、鉄の螺旋階段が見えてくる。
眩暈を起こしそうなその狭い階段を上がっていくと、最上部に灯り。
そこに二人の人影が見え、そこから二人の喚き声が響く。


「勘弁してくれェ、もう勘弁してくれェェ!もうやだよぅ……………」
コンクリ剥き出しの床に膝をつき泣き喚く男。そしてそれを諌める男。
「後少しだ。あと53時間で本土から迎えが来る。それまで耐えろ!待つんだ!!」
「無理だ!絶対無理だ!!いやだぁ………」
喚き散らした男は頭を抱え、隅で縮こまり震え始めた。

もう一人の男が部屋を見渡す。運び込んだ大量の備蓄食料の山。
飲料水入りのポリタンク。
燃料。
毛布。
少しばかりの私物。
それらは篭城の為の準備。
────────迫り来るあれらに対する、気休め程度の。

だがもし。
もしも救援隊が間に合わなかったら?
考えたくは無い。考えたくも無い。
だがもしも、救援隊でさえも同じ状況に陥ったら?
救援隊の状況理解の為にも現状を記録を残しておく必要があるだろう。そうすべきだ。
────そう思った男は、日誌を手にした。
ページを開き使い古した万年筆を取る。誤字も滲みも気にせずに走らせる。
よくもまあこの状況下でこんな冷静な事をと、男は自らを鼓舞するようにせせり笑った。

風が強い。震える窓。隙間風。どどうと窓が大気に押され、ごごうと階下の梁が鳴る。
その轟音に怯えたか、隅の男がまた呻いた。



突如、外から響いてくる音。

呪われたコントラバスの様な、幽霊船の霧笛の様な、寒気のする重低音。
男は日誌から顔を上げ、音の響いた方向を見る。赤黒い奇怪な夕日がちらついた。
────────いや待て。
あれは本当に夕日だったか?時計を見る。

 『06:37』 

この時計は24時まで示される筈。ならばあの赤い夕日は何だ?それに、
あの方角は、東の筈。
あれはまさか朝日なのか?ならば何故また暗くなっていく!?
それよりも、なによりも、
昨日の朝は何時だった?正午の時報は確認したか?今は一体何時なのだ!?



と、そこで男はふと思い出した。
あいつは?下の様子をを見てくると云った、もう一人の仲間はどうした?
「ぁぁッ……」
外から小さく悲鳴が聞こえた。その方向の窓へ走り、ガラスにへばりつく。
真っ黒な波飛沫。おどろおどろしい血のような陽光が映える。
その片隅、
岩陰から伸ばされていた白い人の手が、海の方へ引きずられて見えなくなった。

男は体を震わせながら二、三歩後ずさり、畳んであった毛布の上に転ぶ。
いかれている。世界全てが狂っている。
三千世界が敵意を晒し、この哀れで小さな灯台をば滅ぼさんと血糊に濡れた牙を剥く。
海も空も雲も波も風も時も太陽でさえ、既に彼らの味方ではない。




再び響く、あの冷たい重低音。

やはり夕日の方角から、それも前より近い。異様な赤に染まる空。
音を聞いて怖気がたった。その恐怖を必死で押さえつけ、音の方角の窓を覗く。
「ひぃィ…………」
背後の仲間はその音に怯え、毛布を手繰り寄せ、怯えた子犬のように縮こまった。
朝日か夕日かも判らぬどす紅い日輪。


それを背に────────荒れ狂う海上に立つは、



先の尖る大きな長い頭の、巨大な人影。















青い空、黒い海。

その狭間を白い船体が進む。



潮風に吹かれながら、同僚のデジカメを首に下げ、
手すりにもたれ水平線を眺める男が一人。

そう、雑誌記者である。
だだっ広い海原をぼんやりと眺めながら真剣に考え事でもしてるのかそうでないのか。
この男、自分でもよく分かっていない。
というよりも脳細胞自身が変わらぬ風景に飽き始め、マターリ休憩中なのだ。
高速道路とかを車で走ってるとよくなる、あの感覚である。

────その良く判らないぼんやりとした精神状態を突き破ってくれたのは、


「や。どうしたね?気分でも悪いかね」
「────ああ、立科先生」

雑誌記者に歩み寄る初老の男。
物腰は実直そうだが柔らかく取っ付き易そうな笑顔だ。
思わず雑誌記者も愛想のいい顔と気分に戻る。
彼の哀れな灰色の脳細胞も昼休憩からすぐさま労働を始め、雑談モードへと移行した。

「いえね、私みたいな変な雑誌の記者なんか同行して、正直場違いなんじゃないかって」
「いや。そんな事はないよ。君達の雑誌の科学記事には定評がある」
立科先生も手すりにもたれる。
波飛沫が少し飛び、濃い潮の香りが鼻腔に入った。
「今回の調査も含め、私のしている研究は広く大衆に知らしめねばならんだろう?」
「ええ、まあ確かに」
「ならばより大衆に近い、そして先鋭的なメディアに露出せねばね」



この、立科氏の研究。
それはユーラシア大陸からの煤煙や汚染ダストの外洋への影響である。

彼曰く、近年発達してきた中国やロシア東部の新興工業地帯からの有毒排出物質が、
遠く太平洋上へと偏西風により運ばれ降り注ぎ、
太平洋の島々や外洋表層の生態系に多大な影響を与えているという。
以前ミクロネシア近海の南太平洋周辺でで行った調査では、
煤煙粒子に硫化化合物による酸性雨、更にはダイオキシンまで検出されたそうなのだ。
それらを踏まえ、今回の北太平洋の調査も行われる。
その立科氏の調査研究旅行に、雑誌記者も取材の為同行させてもらっているのである。


「”クリプトロジー”を選んだのも私の意志によるものだ。どうだね、何か不満でも?」
「いーえ、謹んで取材させて頂きますホントニモウ」
立科氏が頬に皺を寄せて笑う。
その笑顔は初老の風貌に似つかわしくない、屈託の無さがある。
「妙な言い回しを使うものだな」






今は冬だからだろう、海風がえらく冷たく身に凍みる。
流氷などは全く見えないが、結構北方の海まで来たらしい。
ジャンパーを着こんで震える雑誌記者を尻目に、立科氏はのんびりと背伸びをした。
「────さて。本格調査に入る前に、寄っていく島があるよ」
立科氏が手すりにもたれながらはらりと海図を広げ、指で示した。
雑誌記者も横から覗き込む。




北太平洋のド真ん中、全く孤立した小さな島。

『阜鱈玖島』
     …………────島の名前の下に、”ふたらく”とルビがふってある。



「灯台だけある小さな島だ。日本が二百海里を確保する為に建てているんだがね」
そう、いわゆる沖ノ鳥島と同じような境遇の島らしい。
以前にも別調査でこの島に来たことがあるとの事。燈台守三人とも知り合いだそうだ。
今回はこの島が、調査活動における基地となる。
一体どのような島なのだろうか?

────と、急に日が翳ってきた。空を見ると妙に黒い積雲が流れている。
「天気、大丈夫ですかねぇ」
「ああ、大丈夫さ。この季節この周辺の天気はいつもこうだ。慣れっこだよ」




そんな会話から数時間。

「先生────!島が見えましたよ!あれですか?」
そろそろ島が見えると聞いて甲板で待っていた雑誌記者が、島影を指差した。
予想以上に小さい。
歪んだ矩型の一端に灯台らしき影が見える。
大きさはそう、周囲1kmもあるだろうか?
島というのもおこがましいと思えるつましい姿だ。

船室から立科氏が姿を現した。目の前の島影を見て、
「…………?」
眉をひそめた。
しばらく島影を睨んだ後、振り返り操舵室へと声をかける。
「おい君、本当に阜鱈玖島か?海図通りかね?」
「GPSによる緯度、経度は合ってます。間違いないと思いますが、しかし…………」

何やら妙な雰囲気だ。立科氏を始め主要メンバーが神妙な顔で島を眺めている。
「…………島の形が違いませんか?」
「ああ、妙に小さくなっているし、浸食されたにしては早すぎると思うが」



少しづつ島に接近する調査船。
もしここが阜鱈玖島なら、少し回り込めば船着場がある筈だ。
島の岩だらけの稜線の向こうに小さな湾があり、その中に────

船が居た。

「…………先客だと?この島に?」
立科氏が驚く。
確かにこんな辺鄙な孤島にあのような白い綺麗な船は不自然だ。
程なく操舵室に通信が入ったらしい。
助手の一人が立科氏を呼びに出てきた。
「先生、あの船から通信だそうです。機関を停止し船名、所属を述べよと云ってきてますが」
「機関停止?相手の船は何なんですか?」
「それが…………────海上保安庁だそうです」






『よろしい、接岸を許可します。どうぞ』

「やれやれ、だ。全く」
今回の目的まで詳細を述べさせられて、ようやくお許しが出た。
機関駆動を再開する。
接岸するまであと少し。皆が荷物をまとめ上陸準備を始める。
その間も、立科氏が無線で海上保安庁の船と連絡を取り合っていた。
ほぼ雑談だけなのだが。

「我々は環境省からも正式に許可を頂いてますし、確認を取って頂ければ」
『いえー、我々もこんな離れ小島に学術調査船なんて来るとは思ってなかったですしねー』
「その島に、三人の燈台守が居ませんでしたか?彼らなら我々を知っている筈ですが」
『ああ、その燈台守ですか?我々も彼らを探しているんですがねー』
────何を云っているのだ、あんな小さな島だというのに?

そう尋ねる前に、あちらが先に答えた。


『この島ー、誰も居なくなっていますよ』








ぽかんと開いたコンクリ製の建物の入り口。
白い漆喰で固められていた筈の表面は、まるで長い年月を経たが如く剥げ落ちている。

中に入ると、木製の椅子や机がぼろぼろに朽ちていた。
生活用品はようとして見当たらない。本や日記の類でさえ何処にも無い。

螺旋階段はぼろぼろに錆び落ちていた。
何とか最上階まで上がれるものの、このままでは崩落は時間の問題に見える。

最上部には、何故か粉々に割れたポリタンクとぼろクズの山。
ぼろクズを少し拾ってよく見てみると、それが食料の袋であった事が何とか判別できた。

人影は無い。
死体も無い。
只朽ちた灯台のみが、冬の北太平洋に屹立している。




「二日前に、この阜鱈玖灯台からと思われる救難信号が発信されましてねぇー」
灯台前の広場で保安庁の男が雑誌記者に事情を説明する。
名は坂田というそうだ。
「で、我々が到着したのが本日明け方頃。その頃にはもうこんな状態でしたねー」


灯台の外壁を一回りして、立科氏が戻ってきた。
「どうです?誰も居ないでしょう?」
「…………ええ」
「多分二日前の信号の時に何か有ったんでしょうね。で、皆逃げ出したか死んだか──」

────いきなり坂田の言葉が詰まった。
立科氏が、坂田の保安庁制服の襟首を掴み上げている。
「わ!?ちょっと!立科さん!?」
慌てる雑誌記者。
しかし思いの他立科氏の腕は堅牢で、手をはずすとっかかりすら掴めない。

「────何故二日も掛かったんです?」
「あああもう落ち着いて!落ち着いて!救難信号が不鮮明だったんですよ!」
坂田氏曰く、救難信号の不鮮明さが原因で救出活動の許可に時間が掛かったという。
第一周波数も規定とは違っていたし、イタズラの可能性もあったのだ。
だがそれ以上に、
「ほら、ニュースでやってたでしょ?不審潜水艦の話。アレで皆出払ってて即応がねぇ」



潜水艦?
そういえば、出掛けにさかんにニュースでやってたような気がする。
この周辺の話だったか?

「────そんな事を言い訳に?」
「あああだから申し訳ありませんって!これから周辺海域を徹底捜索しますよ!」
まだ立科氏が胸倉に掴みかかっている。
雑誌記者が必死でなだめ、ようやく腕を外した。
「明日にはヘリや航空機も捜索に参加してくれる筈です。それで許してくれませんか」

凄い凶眼で保安庁の白い制服を睨みつける立科氏。やがて、
「…………上陸の作業があります。失礼」
足早に坂を下り、船着場へと戻っていった。


「……やれやれ」
思わぬ乱暴者の後姿を見送って、坂田氏は制服の乱れを直し始めた。
ようやく落ち着いた雰囲気。雑誌記者がそっと尋ねる。
「あの────……『不審潜水艦』、って」
「ん?あー何だニュース見てなかった?ほら、ココから20km離れた瀬礁のヤツでねー」
「いや、場所までは覚えてませんが」
「うん、訓練中の海上保安庁のレーダーに映ってね、それで捜索してたんだがねー」

話を聞きながらようやく思い出してきた。
普通、潜水艦なら大陸各国に近い日本海側にまず出現する筈なのに、
何と太平洋上に突如出現した怪物体があったのだ。
米軍所属の船ではなく、某国の潜水艦に太平洋上まで侵入された可能性が出た為
かなり防衛関係で物議を醸していた。
雑誌記者はそう認識している。


────しかし。

「……────ココだけの話だがね。まあよくあるヨタ話、と聞いてくれ」








やがて夜。

船着場に並ぶ二つの船。
結局海上保安庁も、ここ”阜鱈玖島”に停泊することになったらしい。
一応の調査は済ましていたらしく、灯台施設の使用は許可が下りた。

最も、電化製品や燃料ですら無くなっていたので山小屋キャンプ状態になるのだが。
案の定、陸に上がらず船で眠る者の方が多かったらしい。



「────何処に行くのかね」
寝袋を抱え船のタラップを降りる雑誌記者に、立科氏が声を掛けた。
「ああ、私船の揺れにどうも慣れなくて。上で休ませてもらおうかと思いまして」
「…………そうか」
どうも口調がおかしい。
薄暗がりに良く見ると、手に何かのビンを持っていた。
「────呑んで、らっしゃるんですか」
「まあね」
昼間、船上で見た紳士的な姿からは思いもよらなかった。
相当酔っているらしい。

「明日の調査に障りますよ、もう控えられた方が」
「……────そうだな。…………代わりに、君が呑んでくれ」
いきなりポンと放り投げられる酒ビン。
見当違いの方へ飛んで、海の中へとトポンと落ちた。
慌てて拾いに行こうとする雑誌記者を尻目に、立科氏はそのまま船内へと引っ込んだ。

「え!?ちょっと」
何せ月の見えない夜の海、黒い酒瓶は波に紛れて姿を隠した。
手探りするが何も触れるものは無い。
ああ、もういいやと思った瞬間────
こつん。
何かが手の甲に触れた。すさかず掴み、海面から持ち上げる。


「…………何だこりゃ」

酒瓶ではなかった。もう少し大き目で、かなり丈夫そうなビン。
手に持った重さでは中身は無いらしい。その代わり、
「ん?」
何か固形物が入っている。見た感じ、それは何かの紙束、ノートか本に見受けられる。
振ってみる。幅広のフタをこじ開けようとしたが、やけに硬く閉めてあった。
溜息をつき、海を眺める。もう他に酒瓶らしき物体は見受けられない。

手の中のビンを眺める雑誌記者。
まあいいや。なんとなく、酒よりもこちらの方が面白そうだ。
そう思い、冷たい冬の海水から足を上げ、手の中の妙なビンをしげしげと眺めながら、
雑誌記者は灯台への坂へと向かっていった。








その背景の暗い海。

少し光るはあの酒瓶。波にゆらゆら揺れながら、のんびり沖へと遠ざかり、

波にどろりと飲まれると、

蓋が開いてもいなかったのに、

二度と浮かんでこなかった。











どうも船の揺れが三半規管に染み付いてしまったらしい。
灯台までの坂道で、何回かふらついて転びそうになった。


一階の一室を提供され、そこに荷物を下ろす雑誌記者。
ようやく一息つく。

何時の間にか電気が復活していた。
発電機は何とか生きて居た為、船に積んでいた燃料を補給して動かしているらしい。
まあそのせいで、『節電して下さいね?』と念を押されたが。


冷たいコンクリの床に寝袋を敷き、座布団代わりにして座り込む。
「…………さてと」
目の前には、あの謎のビン。
よくよく見ればどうも大きなコーヒーのビンらしい。
茶色で全体に白い傷が付いている。
外では中身はよく見えなかったが、電灯に透かしてみれば良く判った。
────表紙らしき所に、『 日 誌 』と書いてある。
更に何と、コーヒービンのフタ部分。
どうも開かないと思ったら、ボンドらしきものでべったりべたべたとのり付けしてある。
いろいろ体勢を変えながらふんばり、果ては足まで使ってみたがダメだった。開かない。
ビンを割るしかないのか?
そうすれば、
しかし。でも…………

「…………明日、先生に相談するか」
もしかすれば、コレは消えた灯台守達の遺品かもしれない。ならばかなり重要な筈だ。
そうしよう。
船の揺れのせいだろうか、今更ながら頭が痛くなってきた。

こういう時は眠るに限る。
一人暮らしの長い雑誌記者の経験則である。
節電の為早々に電灯を消し、そのまま手探りで寝袋へと潜り込んだ。









────────彼方より。

奇妙な、重低音。






眼が覚める。
寝袋の事を忘れていて、闇の中でもんどりうった。

電灯を付ける。
部屋の中には異常は無い。…………今のは、何だ?
やけに遠くから聞こえていた気がする。
まるでタイタニック号からの時空を超えた汽笛のような。
ふと気が付く。
寒い。
震えながら小さな窓へ顔を向けると、
────光が走った。


部屋の外に出てみると、同じく灯台に泊まっている調査船の船員の影。
窓の外を光が走り、その照り返しで誰だか分かった。
「……────この、光は?」
「ああ、先程保安庁の人がやって来たみたいで。灯台の灯り復旧させたんですよ」
また光が走る。成る程、そういう事か。
ついでに先程聞こえた気がする奇怪な重低音の事を尋ねたが、聞いてないとの事だった。


コートをもう一枚羽織り、大き目の窓辺へ行って、腰を下ろす。
先程の船員に貰ったタバコを取り出し火をつけた。
煙が一瞬、闇夜に照らされ白く光る。
月も星も見えない夜空。同じく広がる漆黒の海。
只、灯台だけが文明の光を投げかける己の役目を思い出し、健気にも働き続ける。




ふと、昼間に保安庁の坂田氏から聞いたヨタ話を思い出した。


不審潜水艦の調査中に噂が広がったという、どうでもいいヨタ話。

────探索に従事していた航空機がレーダーの反応のあった位置に急行した所、
件の浅瀬の海中に妙な物体を目撃したのだという。
長さは約20〜25m、色はクリーム色に朱の筋が入り、質感は金属的ではなかった。
パイロット曰く、セメントや漆喰、もしくは『オウム貝とか』に類似していた、と。
形は少々歪な、船底の様な形をしていたという。
それが海面下スレスレをゆっくりと移動していて、
それに機体を接近させていくと、
後部の貝のフタのような部分が開き、
そこから胴体や手足の様な物が伸び出して、
くるりと回転したと思うと、



『そこには裂けた口と大きな眼があって、それに睨まれたそうだ』






鳥肌が、足の親指から旋毛までをうぞろろろと駆け抜けた。
相当冷えてしまった。
そろそろ温い寝袋に戻るべきか。
とりあえず、咥えたタバコを吸いきってしまおうと吸い込みかける。

…………────ふと、灯台の光が何かを照らしたように見えた。

波ではない。
波ではない、何か。
真っ黒な海の中で、昼の住人に無慈悲な海水以外の、何か異質な物体の照り返し。

又見えた。
今度は左の方。船をひっくり返したような形。
吸いかけのタバコを手に取り、少しだけ闇の海へと身を乗り出す。

何だろう。
好奇心が数分、雑誌記者の体から温度の感覚を取り上げた。
あの坂田氏のヨタ話が脳裏に浮かぶ。
もう一度、もう一度浮かんでこないだろうか。────今度こそ、はっきりと。

あの、何かを。








「……────ハクショイッ!!!?」

思いっきりのクシャミで我に帰った。いかん、風邪をひきそうだ。
結局出なかった。
やはり気のせい、昼間にあんな話を聞いたからか。
顔を拭うと鼻水がべったりと付いてきた。
こりゃいかん。とっとと寝袋に戻ろう。

タバコがまだ火が付きっぱなしで指を焦がしそうなのに気付く。
もみ消すまでもない。
灯台下の海面へと、吸殻をちょいと投げた。









その海面下極浅くから、裂けた口と大きな目玉がこちらを見ていた。


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