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夜光樹








最近の夜はどうも寒い。



彼はそう思いながら身に纏ったコートに包まり直し、硬い寝床で寝返りを打つ。
少しは頭のうっ血が和らいだが、気が付けば今度は右腕に違和感がある。
感覚が無い。
だがその違和感は枕を探していた頭にとっては好都合で、そのままにする。

何だかとてもよい気分。

気の喰わない後輩が地方に転勤になったのもいい気味だし、
そいつと付き合っていると噂の美人にお酌をして貰ったというのも嬉しい。
こんないい気分でなら、袖より染み入る冷気でさえ気にもならない。
いい酔い醒ましだ。






『  …………────ちょっと、起きて下さい、ちょっと』
遠くから妙な声が聞こえてきたと思ったら、何だか体が船の様にぐらぐらと揺れ出した。
ああ、やっぱり調子に乗って飲みすぎたのか。
平衡感覚がおかしくなって………

『風邪、ひきますよー、大丈夫ですかー?』
何だこのダミ声。
気分悪い。
しかも段々近づいてくるし。変態か貴様。

『終電、行っちゃいましたよー?もう朝までありませんよー?』
うるさいわ。
何様のつもりだ。黙れ。
死ねクソ野郎。
まどろみを妨害する輩に罵言の鉄槌を下す為目を見開き、あらん限りの力を振り絞り!




「 …………ううん、ああ」
「起きてますかー?目をちゃんと開けて下さーい!凍死しますよ〜?」
「…………うう」
「ここ地下鉄ですよー?閉めちゃいますよー?もう一回来て寝てたら連れてきますよー?」
「ぅむ」

ヨッパライがどうとかブツブツ云いながら制服姿のそいつは何処かへ消えた。
何処かでパチンパチンという音が聞こえ、瞼の向うがどんどん暗くなっていく。
頭がドクドクいっている。
コートの中が寒い。
さっき揺すられたせいで冷気が全身に侵入してきたらしい。
畜生め。暖かいフトンが欲しい。
────────そういえば、終電がもうないとか云ってなかったか?
そうか、あいつのせいか。
そうだな。

畜生め。






何故だか明るい。

うっとおしいのでまた目を開けてみる。
目の前にずらりと並んだ、明々と灯った四角い窓。────地下鉄の車窓だ。
何だ、まだ電車あったんじゃないか。
あの嘘吐き野郎。
よっこらせと硬いベンチから身を起こし、タイル張りのホームの上に立つ。
ふらふらおぼつかない足取りで進み出て、停止している電車の前に立った。


────────あら?入り口は何処だ?
何故だか窓ばっかりで、周囲に昇降口らしき部分が見当たらない。
それに、窓に見える部分。
────────何で、すりガラス?
窓は全てスモークがかった様に白くくすんでいて中が良く見えない。
すりガラスの地下鉄?ンなもんあるのか?
しかし中には人影が見える。余程空いている様で立っている影は無い。
殆ど皆座っている。
回送電車ではないようだ。
首を傾げる。


『バゴン!!』

突如窓に人が倒れこんできた。
ビビって尻餅をついてしまう。
髪型からして女性らしい人影は、倒れこんだ窓をドンドンと叩いている。
何だこれは?もしや、助けを求めてるのか?
見れば数m先の窓にも似たような人影が。同じ音が複数そこかしこから聞こえてくる。
あっけにとられている内に、


目の前の地下鉄は、ゆっくりと縦にうねりながら加速して、
そのままトンネルの闇へと消えていった。









「…………────────え────ックショい!!!」

そこで我に帰る。
同時に凄まじい鳥肌がぞぞうと全身を走った。
見渡せば既にホームは真っ暗で、遥か向うから懐中電灯が揺らされる。
「大丈夫ですか〜?目ぇ覚めましたかー!?」


駅員に謝りながら地下鉄のホームを出て行く。
目は覚めた、酔いも醒めた。
どうやら地下鉄のホームで酔いつぶれて寝てしまっていたらしい。
飲み会でビールと日本酒とチューハイをチャンポンにしたせいだろう。
放っといても鼻汁が垂れてくる。
頭痛も酷い。どうやら風邪もひいたようだ。

タクシーでも拾おうかと道に出たが、一台も留まっていない。
人通りも深夜らしくかなり少ない。ああもうどうしよう、カプセルホテルで一泊するか?
取り合えずタバコを取り出し、口に咥える。
はてライターは何処に入れたかと全身をまさぐりながら夜空を見上げて、


見つけたライターを取り落とし、咥えていたタバコも落とす。

ビルの狭間のその向う、星すら見えない闇の冬空の中、
蛍の様に光点が瞬く、巨大な柳が揺れていた。









とある、寒い冬の夜の話であった。










彼の朝はまあ早い。

というより早くせざるを得ない。
何せ彼は人込みが好きではないのだ。
免許はあるのに文無しで自家用車も持っていないため、電車での通勤となる。
それでも仕事場への通勤途中でラッシュにぶつかり、いつも死に呈となってしまう。
しかし更に早くすれば入り口の鍵が開いておらず、遅くすればラッシュが酷くなる。
よって、多少の我慢をしてこの時刻の電車に乗っているのだ。


まあ、最近その喫水線ギリギリの我慢船へ
沈没させる勢いで飛び乗っかってくるのが居るのだが。


途中市街地に入ると地下鉄となり、しばらくしてやっと目当ての駅に着く。
いつもの時間、いつもの人々、いつもの風景。
途中、朝喉が痛かったからと茶を飲みすぎたのが悪かったか、催してきた。
ちょいと脇に行った所に便所があった筈、早足でそそくさと角を曲がる。



────便所が、黄色いテープで囲われていた。
人だかりもできている。テープの結界の中では警察関係者らしき人影が動き回っていた。
中はどうやらぐちゃぐちゃに荒されているらしい。
大穴が開いて、タイルが飛び散っている。
どっちにしろこれでは用を成さないだろう。
近くのベンチに座るツナギのいい男に誘われる前に、そそくさと出口階段へ向かった。





ドアを開けて馴染みの挨拶。「おはよーっす」
そうすると、「ういおはよ────っす」

「…………何でお前が居るんだよ」

彼の堪忍袋の緒を鋸引く存在、変人女が彼の席に座っていた。
「えー?今日打ち合わせしようつったのあんたじゃん。何バックれる気?用事出来た?」
「ここでとは云ってないが…………つかお前寝起き弱いんじゃなかったのか?」
「んー、ちとブログ巡りしてたら朝になった」
何とまあ、いっちょまえにたのしいネット生活を満喫していたらしい。
ヤレヤレ一体どんなくだらんブログを見ていたのやら。
とりあえず待っているように言いつける。これから朝礼なのだ。

「あ、あたしも参加するわー。スピーチしたげる♪」
止めんかバカ!






脳ミソが四次元的にひっくり返りそうなスピーチを経て、彼は仕事に入る。

変人女は取り合えず雑誌数冊と紅茶とお菓子と小坂をあてがって応接セットに封印した。
先ずは投稿コーナー用に来たメールと手紙の整理、そして選考。
メールを開きながら、封筒を手早く次々と開けていく。
彼の脳ミソも手馴れたもので、ボツと一次選考通過を次々より分けていった。
────どーにも最近、妙な長文の投稿が多い。
何処の小説家志望だ送ってくるのは?

「ねー、お菓子切れたー」
あ、いかん有害廃棄物がモレだしてきた。応急処置にかからねば。
「コンビニでお菓子買って来い、1000円以内なら俺の経費で落としてやるから」
フウ、とりあえず先送り成功。



さてと。
一応整理はついて後は編集長と相談で選考するだけだが、面白い事に気付いた。
似たような投稿が複数ある。手紙は六通、メールは8通。
あの長文投稿野郎は含まれていないようだ。
全部、文体からしてシロウト臭い。
一つ取り出してみる。


 件名:噂の真夜中の地下鉄、見ました
 ──────────────────────────────────
  最近コワキモとか増殖耳袋とかで流行っている真夜中の地下鉄の話ですが、
  私も昨日見てしまいました。
  彼氏の家からコンビニに行く途中、地下鉄が上に上がってくるところがあるんですが、
  そこの横を歩いているときよこを地下鉄が通りました。
  初めはふつうに見てたんですが、とちゅうで今が終電が終わってる時間帯って気付
  いて、それでよく見てみたら、話どおり普通の電車とはまったくちがっていました。
  生き物みたいにタテに動いていたし、中にみえる人たちが助けを求めているようにみ
  えたんです。地下鉄はそのままトンネルにきえました。
  彼氏に相談したら、真夜中の地下鉄じゃないか、大学でも聞いたといってたので投稿
  しました。
  この噂は私の友達の中学でも広がっているそうです。



何というか、色々下世話にツッコミたい文章ではあるが興味深い。
”コワキモ”とか”増殖耳袋”、
これは最近怪談や都市伝説マニアが集うという人気ブログだ。
最近は一般にも広まってきて何かと目にする、雑誌にとって商売敵のようなものである。
そのブログが最近話題にしているものというのが、



────”真夜中の地下鉄”。

全く聞いた事が無い。
やっぱりもうダメかもわからんねーぇうちの雑誌?




「おいすー、おかじー何やってんの?お、エロゲ!?」

ああああああああああああ産業廃棄物が不法投棄場所から舞い戻ってきやがった!!
しかも袋一杯の安物菓子を齧りながらおかじーの席でエロゲしてやがる!!
つかおかじー何やってる。
あばばばばば状態のおかじーに残酷なタイタニック級助け船をよこしてくれる!
「おい、おかじーのサボリ用エロゲーやってないでちょっとこっち見てくれるか?」
「ん?何やっとミーティング?焦らされたって何にも出ないわよん?」
「出るのはアイデアだけでいい。ちょっとこっち来い」


「あー、”増殖耳袋”のね!昨日コレブログで見てたわ。追跡調査してたし」
見せたら一発で答えられてしまった。

────何でも深夜に地下鉄を走り抜ける、奇妙な電車の噂らしい。
深夜の道端から。
対向する地下鉄から。
締め切った構内から。
有り得ない時と場所を、助けを求める人々を乗せて走る、真っ黒な地下鉄車両だという。
”死神列車”、
”地獄地下鉄”、
”研究所行きの地下鉄”、
”某国直行海底トンネル”等々様々な亜種も現れているそうだ。
「てかあんた、知らなかったの?怪奇雑誌の記者のクセに」
知らなかったんだよバカヤロチクショウメry)



遂に編集長と非公開対談をするハメになったおかじーは放置して、
更に横でうるさくのたまいまくる変人女をあしらいながら仕事を再開する。

「ん…………何だこりゃ」
開いたメールに妙な画像が添付されていた。
写メで映したものらしい。
メール内容によれば撮影は昨日午前1:00過ぎ、隣街の繁華街からの撮影のようだ。


街中に、
無理矢理クリスマスツリー役を仰せつかされた哀れな柳みたいなモノが立っていた。


「あんたの例えは分りにくい」
「ほっとけ。で、これはお前分るか?」
肩をすくめる変人女。
段々飽きてきたらしい。その調子でどっか行っといてくれ頼む。
おかじーがプチトマトin電子レンジみたいになって出てきた。テカる編集長も後に続く。
────と、編集長が窓から外を見て声を上げた。


「おい、そこの地下鉄で何かあったらしいぞ。お前見てこい」









俺の事か?と眉を顰める、ある冬のお昼前の雑誌記者であった。









彼女は、好奇心旺盛である。

この”彼女”という性別を意識した代名詞だが、彼女は特に性別を意識した事は無い。
しかし彼女の身体において生産される配偶子は間違い無く卵子であり、
人類の保有するパラダイム上の生物学における分類は雌性体に分類される。
よって、此処で用いられる代名詞は”彼女”とするのが適切であろう。

兎にも角にも、目前で展開されている状況は彼女にとって十分好奇心の対象であった。






駅構内の、黄色いテープに囲まれたあの便所。

その中からタンカに乗せられ運び出されているものがある。
衆目に聞き耳を立てると、
「…………白骨だ」
「白骨だってよ」
「おォ、マジ?マジ?ちょ、ケータイ貸せ」
確かに、生身の人間が運ばれているにしてはタンカ上の毛布のふくらみが小さい。
警察の鑑識らしい作業着の連中の複雑な表情。

続いて出てきたのは制服の警官数人。
負傷しているらしいが、出血しているのは何故か耳と鼻だ。
彼らの目には光が無く、焦燥しきった無表情で連れられていく。
────地下鉄が通過する轟音が鳴り響いた。
「……ぅわああァ!!ああああああ!!!」
いきなり負傷した警官が暴れ始めた。来るな寄るなと大暴れしながら連れて行かれていく。





彼に何が有ったのだろうか。
先程話しかけてみたが更に錯乱するばかり。
とりあえず彼らに話しかけるのは止めにしておき、彼女は様子を見守ることにする。
────────しかし、





雑誌記者がその辺に居た刑事に話を聞いていた。
案の定、つっけんどんに扱われるが気にしていない。
「……いやー、でも何だか妙な状況ですよね?何があったか少し位教えて貰っても」
「駄目だ、事件の性質上秘密にしておく必要があってな。ブン屋はとっとと帰れよ」

ここで雑誌記者のココロの本音。
────オッシャ義務終了これで言い訳できるとっとと編集部に帰って仕事の続きを!
踵を返そうとした瞬間、

「教えて頂戴?何で、こんなに人員が要るの?」
変人女が妙に色っぽい猫撫で声で刑事に話しかけていた。
キモいから止めんか。
声だけ聞いて振り返ったらしい刑事が、変人女を見てギョっとする。
「捜査上の秘密だ。失せろ」
少々引いているらしい。
そらそうだ、自分より大きい女が猫なで声で迫ってくるんだから。
更に口元までネコそっくりになった変人女が擦り寄っていく。だから止めんかオイ!!


「────おや、お久し振りで」
聞いた事の有る、通りのいい呼びかけ声に雑誌記者は振り返る。
濃紺色のスーツ。目立たないネクタイ。オールバックの髪。そう確か、
「…………あんたは────」
「誰?」
変人女が真顔で尋ねてきた。
本当に失礼な奴だがそいつはニコニコ笑顔のまま答える。
「今は警視庁科学捜査研究所分局特別顧問、湯ノ浜昭信と申します」




妙な人物の登場で、彼女の好奇心は更に刺激された。
確か前にも会った事がある。何処で会ったのかは忘れてしまったが。
話しかけたいが、さっきの失敗も有る。
向うから話し掛けてくるのを待とう。そう思った。




「今朝ここの駅からの通報がありましてね、男子トイレが陥没したという話なんですが」

────何でも、その下に巨大な人工空洞が発見されたらしい。
────いや、正しくは”廃棄された古い地下鉄”。
戦前にある財閥が私的に計画していたらしいシロモノなのだが、詳細は不明だという。
その内部を探索中人骨を発見。
最近のものらしく刑事事件に発展したところで、
穴の中に降りていた警官達が何かに襲われたのだという。

「ちょっと!あんたいくら本店だからって一般人にそう簡単に!!」
不用意な情報公開に現場の刑事が激怒するが、湯ノ浜はのらりくらりとかわすばかり。
「まあ────……一般的な人では無いですよね?貴方?」
変人女を指差して問う。
「ん?あたし?いーえーあたしは極普通の踊らされる一般大衆よん?」
「うそつけ」
「おや、夫婦マンザイですか?」

変人女の鋭いハイキックをするりとかわす湯ノ浜。
前世はナマズに違いない。多分。
「まあ、今回はあまり関らない事です。貴方々に接点もありませんし、ね?」
そういって、そそくさと湯ノ浜は刑事を連れて黄色い結界の中へ姿を消した。
「どーすんの、あたしは面白そうだと思うけど?」
「いーや、止めとく」
ブーブー文句を云う変人女を連れて雑誌記者は地下鉄を出る。まだ仕事が山積みだ。





取り合えず、彼女の好奇心は高まる一方だった。
彼らがこのような事態で騒ぎ立てる時は、何か有るに違いない。
心が疼く。
是が非にも、彼らに関ってみたい。

話をしたい相手も出来た事だし。











結局変人女はミーティング後退社時間にまで居座っていた。

もう午後11時になる。
誰も居なくなった編集部で、雑誌記者一人が帰り支度を済ませた。
「お〜い、閉めるぞ〜?」
パテーションの向うに話しかける。
だがへんじがない。ただのしかばねのよry)
冗談はさておいて、とっとと帰って布団にダイブしたい雑誌記者が扉を開けて見ると、
「ぅん…………むニュ?」
寝てやがった。
てか雑誌記者にとってはどうも悪い予感がする。


とりあえず地下鉄に入る。が、変人女はまだ寝ぼけていた。
どうすべきか。
コイツの家まで送るべきなのか?あの隠しダンジョン級の住所へ?ありえん。
「おいー、起きろー。お前ン家はムリだぞ俺ー」
「んー、じゃああー、   …………とまるー」
何処にだ。
無理だぞ!俺ン家は無理だぞ!?狭いぞ!?汚いぞ!!でも来るなら!!
「ちがうべつんとこーぅ、すー」
「あ、そ」

とりあえず、途中までは雑誌記者と同じらしい。
変人女を横に置き地下鉄の座席に座る。思った通り周囲からの視線が痛い。
とりあえずそのまま発車。
結構込んできた────と思ったら、変人女がもたれてきた。
「うわ!?ちょ、おいお前」
「 ……  …………────んー」
「うお、おい、重いって」
渾身のボディブロー。
油断していた為モロに内臓にヒット!正直、ミが………
雑誌記者は痛みに必死で耐える。変人女はまた眠りこけている。
こらえながら少し顔をあげると、



向いのガラス窓に何か見えた。

四角い連なった灯り。
この車両と平行して地下鉄が走っているのか。
ぼんやり眺めていると、人影が見えた。
窓を叩いている。
何人も。
助けを求めている。

────────”真夜中の地下鉄”。




あれか!?

頭の中で配線が繋がった一瞬、見得ていた灯りの列は逸れ外れた末見えなくなった。
同時に駅到着のアナウンス。変人女を叩き起こす。
「んー、むぅ何よー」
寝ぼける巨体を引きずって、雑誌記者は無理矢理地下鉄車両から降りた。
たしか未だ電車はあった筈。
辺りを見回す。────何処に行った?







彼女は雑誌記者の姿をぼんやり眺める。凍える様に寒い夜の、地下鉄構内での話。






とりあえず、今にも倒れてきそうな人間大ジェンガ状態の女を安定させることにした。

「ぷー」

何がぷーだ何が。
ともかくその辺のベンチにまで引きずって行き、座らせる。
「…………とりあえずはこれで。ふぅ────」
「おもくなーい」
ローキックによりアキレス腱に重大なダメージが!もう寝ぼけてるコイツ嫌だー!!


片足を引きずりながら、彼は線路を確認する。
登りと下りのトンネルを確認し、更に反対側に廻って確認。
────異常は無い。
少し考える。
確かここに到着する直前、脇道に逸れたような感じで見失った。さっきの車両は下り。
ということは自分らが降りてきた線路の登り方面に、脇道があるはず。
路線図が掲示されていたので確認するが、この駅周辺で分岐する路線は無いらしい。

ということは、未使用の地下鉄か?昼間聞いた戦前の地下鉄の話を思い出した。
もう一度、登り方面のトンネルを覗く。

所々に寒々しい灯りが頼りなげに瞬いている、今にも闇に飲まれそうな空洞が続く。
やはり空洞らしきものは見えない。
隠されているのだろうか?それともこの暗がりに紛れているのだろうか?



”死神列車”。
”地獄地下鉄”。
”研究所行きの地下鉄”。
”某国直行海底トンネル”。


────様々なイメージのバケモノじみた列車が、脳裏を走り抜けては消えていく。
しかし目の前には只がらんどうのレールが伸びるばかり。
激務とストレスで、昼でもないのに白昼夢でも見たのだろうか?

「…………────んー、寒っ」
変人女が目覚め始めた。
多分、幻の原因の半分以上はこいつのせいにして問題無かろう。
あらぬ妄想から思考を外し、さて次の電車はと新たな命題を据え置いた所で、

彼の肩に、手が置かれた。





「────────最悪ね〜、終電の時間間違えるなんて」
「いつもと降りるところが違うんだ、勘弁してくれ」

完全に眼を覚ました変人女と、彼は地下鉄の出口へと向かう。
どうもさっき降りた車両が終電だったらしく、駅員に追い出されたのだ。
もうこの時間ではバスも無いし、タクシーを使うしかないだろう。
「お金はあんたが出すのよ?」
「────すまん、金貸してくれ。足りん」
「ふぅーん?女に迷惑かけた挙句にお金まで借りる積り?まーなんというヒモ野郎だこと」

お前を同種族の女とは思いたくないし第一動詞の使い方が違うだろうがああ!?
────というようなことは露も出せず、階段を二人で上がっていく。


階段を上がりかけて程なく、ホームから音がした。

何気なく振り返る。
駅員が鉄のドアでも閉めたのだと、彼は思った。
しかし、電気の消された薄暗いホームに見えたのは、




地下鉄の車両。




終電はもうない筈だ。
回送電車かとも思ったが、何処と無い違和感が浮かび上がる。

5〜6両程の長さの車両だが────────中が見えない。すりガラスか?
眼を凝らしていると、何かが引き裂ける様な音を立てて扉が開く。
中は明るく、しかし空席。
誰も乗って居ない。
「んー?何?」
先を行く変人女が、わざわざ降りてきて様子を見に来る。

彼は気付いた。
あの車両、継ぎ目が無い。
いや、車両というよりも、       …………あれは、

────────ヤバい。

「え!?うわちょ、何!?」
変人女の意外と繊細な手を掴み階段を駆け上がろうとしたのと、ほぼ同時。
轟音が迫り揺れが足を取り二人して倒れたその背中の上を、

巨大な樹の幹のようなものが駆け抜けていった。




前のめりに倒れて鼻を強打し、眼に星を飛ばしながら起き上がる。
背中には変人女の体重の感触。動いていない。
「…………おい、大丈夫か?」
気でも失ったかと彼女を気遣う為に顔を上げて、彼は驚いた。

階段の天井を巨大な幹が走っている。
半透明ですりガラスの様な質感のソレは、中にまるで蛍のような光点を宿していた。
それが、血管の脈動でも表すようにゆらゆらと明滅を繰り返しているのだ。

驚きながらその幹の灯りを眺めていると、また視界に奇妙な光景が入る。
「…………おい、おい?」
変人女が呆けていた。
ぼんやりと階段出口から見える外の夜空を眺めている。
「おい、どした?おい?」
反応が無い。さっき覚醒したばかりで寝ぼけの筈も無いのだが?

────その時。

半透明の幹の光り方が変わった。
地下鉄ホームの奥へと流れるように。
それに誘われ導かれるが如く、変人女がゆっくりと立ち上がり階段を降り始めた。
慌てて彼も立ち上がり、回り込んで彼女の肩を掴む。
「おい!しっかりしろ、眼を覚ませ!!おい!!」
ヤバイ。
眼が虚ろだ。
彼女の視線は、奇妙な幹の光の流れを追っている。


いつの間にか、階段の上から何人もの人々が降りてきた。
皆変人女と同じ虚ろな眼をして、明滅し流れていく蛍光に導かれていく。
まるで誘蛾灯に向かう羽虫だ。
それに何としてでも付いていこうとでも云う様に、変人女はもがき彼の手を外そうとする。

「止めろ────行くなっ!!」
ついに彼女を羽交い絞めにした。
勢いで二人とも再び階段にどうと倒れる。
それでも彼女は奇妙な幹の枝分かれ部分を掴み、這いずってでも行こうとしている。
彼は彼女を止める為、必死で腕に力を込めた。

────その上を、何人もの人々が踏みつけていく。
まるで床の汚れ程度でしかないとでも言うように。
背骨を踏まれ、後頭部を蹴られ、呻き、また膝間接を踏まれ、それでも力は緩めない。

緩められない。




光に導かれた人々は地下鉄ホームに降り立つと、
迷いも無く、あの奇妙な地下鉄車両へと乗り込んでいく。
そして最後の一人が乗り込むと────扉が閉まり、同時に幹の発光が止んだ。

次の瞬間半透明の幹は急速にしぼみ、何事も無かったように引いていく。
それらの幹はそのまま、あの奇妙な地下鉄車両へと吸い込まれていった。
どうやら光る幹はアレから生えていたらしい。




最後にその奇妙な車両は、ぶるりと一度”身震い”すると、
そのまま縦にうねりながら走り去っていった。

中に、多数の人影を満載しながら。







暫く光景に意識を囚われていた後、彼ははっとその場に立ち戻り起き上がる。
────彼の下にあるものは、変人女の身体。
気を失っていた。
しかし見たところ目だった外傷は見当たらず、安心しほっと息を付く。
只、彼女の掌だけが強く握られたままだった。
そっと指を外してみる。




半透明の幹の、枝分かれした切れ端。
何事も無かったように寒々と静まり返った構内で、雑誌記者はそれを確認した。

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