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氷の中







一般的に、洋館というものは日本の田舎には似合わない。



爾来ヨーロッパにおける自然環境で育まれ来た西洋の伝統的建築物は
ヨーロッパの自然環境を想定した設計とデザインであり、
勿論日本古来の自然環境など元より想定しているはずも無いのだ。

即ち、その存在は異常。
そしてその洋館が隠し持つ内部もまた、異常の性質を身に纏う。
もしくはその隠れた物自体の異常によって、


─────異常な”洋館”なるものが建つのか。








其処にあるのもまた、洋館。
中途半端な雑木林と有刺鉄線、陳腐なイラスト付の看板がその屋敷を囲む。
森林に隠れ建ち、周囲に夜の帳が下りて尚、洋館は異常な雰囲気を醸し出す。

その中を人工の灯りがちらり、ちらり。



「おい、ちょっと待てってよ」
「何引いてんの?とっとと来なさいな」
ラフな格好の若い男女が、夜の洋館の中を歩いていた。
女の方はずかずかとタイルの上を進み、男の方はそろそろと足許に気を配り歩く。
「ったく、遅い!」
「うあ!?」
男の手から懐中電灯がかっさらわれてしまった。
「ったく本当に腰抜けねー?こーいうのはちゃっちゃと進めば怖くないのよ!ホラ!」
「いや、まあ分ってるけどさ…………でも」
男の必死の弁明も耳に入ってないようで、女はズカズカ先に進み始める。

「大体あんたが誘った本人なのに怯え切ってどうすんのよ」
「いや、まあ…………ここまで怖いとは思わなくってさ、へへへ」
青い顔でヘラヘラ笑って踏み出した男の足が、ペキリと何かを踏み砕く。
声にならない悲鳴を上げて男が飛び上がった。
「ん〜?何よ?」
女が懐中電灯を向けると、足許にガラス片。キラキラと光が反射する。
そのままガラスの反射を懐中電灯が追っていくと、最期に巨大なガラス塊に行き着いた。

────落下して壊れた、シャンデリア。
「…………」
「…………良かったね?ホネじゃなくって」






傍の部屋から、物音一つ。

「いっ!?」
「おおう?何ぃ?」
既に全身でドン引きの体勢の男を放置して、女が音のした部屋の前へ行く。
懐中電灯でドアを照らし、少し揺らしてドアノブを見つけ出した。
一拍置いて────────ドアノブに手をかけた、その瞬間。


『ウガ────────────────────────!!!!!』
「うあ────────────────!!!??」
「…………」


男は遂に驚きすぎてずっこけ腰を抜かした。
女は突如開いた部屋の中を懐中電灯で照らしている。
その光を遮るようにして、目の前に両腕をふりあげ掴みかからんとしている


────蜘蛛の顔をした怪人が居た。


女の目が座っている。

『…………』
「………………」
『………………────────、……がおー、がおー?』
「……何やってんの?」





「何?単なる肝試しだった訳?」
「ハハ……いやまあ、そんな感じというか何というか」

呆れ気味でプリプリ怒る女の後を男以下同サークルの若者達五人が付いて行く。
実は今回、
いつも勝気なこの女は本当に怖いもの無しかどうか確かめる為にこのイタズラを計画し
彼女に気のあるこの男が怯える彼女を前にカッコイイ所を見せ付けてあわよくば
抱きつかれたり一緒に倒れたりそのままキスしたりするフラグ立ちまくりを想定した
ベッタベタな作戦であったことは口が尻まで裂けても云えないし云える筈も無い。

「という訳ね」
図星を付かれた。
「バレバレよあんたの顔見りゃ。…………ダッサ」


脇でへこんでいる男を尻目に、女は肝試しについて不満を漏らした。
「第一建物がヘボすぎるわよ。立地条件は中々だけど何でこの建物にした訳?」
「んー、ネットで適当に拾った心霊スポットなんだけど」
「ふうん?ここがねぇ?にしちゃあ…………幽霊屋敷っぽくないけど」
と、ここで誰かが呟いた。
「ねえ、おハルちゃんと大畑君は?」


同行していた奴に話を聞くと、それぞれ雉撃ちと花摘みに行くとの事だった。
「…………それって逢引じゃないの?」
兎に角目的が破綻した今、とっととその淫乱どもに縄引っ掛けて連れ戻さねばなるまい。
「確か、地下室が有るからそこに行くって────」



確かに地下室があった。

多分屋敷の一階ド真ん中であろう場所である。
勇気を持って女が足を階段に下ろすと、ギイと嫌な音を立てた。
「……うぐいす張り、うぐいす張り」
「洋館でかよ」


階段を下りた先。
皆思わず息を呑む


白銀の通路。
懐中電灯の光が壁面や床に乱反射し、透き通る白の世界が目の前に現れる。
「────何これ、氷?」
驚きで飲み込んでいた息を吐いた途端、それが白く煙った。
触ると冷たい。
成る程、これは氷に間違いないが驚くほど透明だ。
まるでガラスで出来た洞窟か、水中トンネルといった趣。
余程寒いらしく、仲間の内数人が掌を擦り合わせながら氷の通路を眺めていた。
「すげ────…………」
女が眺める壁面から数m先に見える氷中の白い帯は、もしや氷に出来た亀裂だろうか?



────その亀裂の前を、赤い何かが通り過ぎる。

「…………」
沈黙したまま眺めていると、そのまま氷の彼方へと消え去った。




「……どした?」
「…………いや、今、この中に金魚が」
「タフミル飲みすぎたか?」
男の面白くも無いツッコミに対して女が反撃を試みる前に、更に異様なものが現れた。

人影二つ。
まるで水中を泳ぐ人魚の様にゆらゆらと近づいてきて、氷の”壁”に手を付いた。
よくよく見れば男女二組、────居なくなった、あの二人。
こちらを眺めてゆっくりと、
うっすらと微笑したその四つの瞳には、
黒目しかなく、





何処かで、パチンという音がした。












「────────眠いわね」

「────そうだな」




背後から投げかけられた言葉に、振り返りもせず彼は応える。

「────────眠いんだけど」
「────寝てりゃあいい」

あんまり応答に割けるほどの容量は彼の頭に残されていない。
何せ今自らの手の中に有るのは、自身と後ろの人間の生殺与奪を操るシロモノだ。
しかも使い慣れていない。
一時の油断が今の自分の生死を分ける。
しかし────────……

「随分な言い草ねぇ〜?春先の木漏れ日の中惰眠を貪るあたしをむりやり攫った鬼畜が」
「お前ん家の近所に樹は無いし、第一北向きで日当り最悪だろうが」
「どっかにお出かけしてそうする予定だったのよ」
「……逃げる気マンマンだったな?」
「で、そんな純朴なお姫様みたいなアタシを連れ攫って、一体何処で何をしようという訳?」
「…………」



…………車の後部座席では、純朴なお姫様が咥えタバコでふんぞり返っていた。


今彼が握っているのは今朝方借りたレンタカーのハンドルであり、
彼の視界の端を過ぎ去っていくのは防音壁と対向車と追い抜き車両であり、
後ろに居るのは紛れも無いひっつめ頭に眼鏡と白衣のいつも通りの変人女である。

要するに、雑誌記者は変人女を車に乗せて高速道路を走っているのだ。


「おーい答えろ〜?」
変人女がシートの頭部分をげしげし蹴り出してきた。
「止めろお前、借りモンだぞ!?」
「知らん、あたしが被ったPTSDの被害額に比べりゃどーってこたない」
…………いつにも増して言葉のトゲが鋭い。
お前は栗かヤマアラシかガンガゼか?
ベッドで幸せそうにうにゅうにゅ云ってた変人女を無理矢理叩き起こすんじゃ無かった、
と思う雑誌記者であった。


「自己完結すな」
「ぬわっ」
変人女の足が何と背もたれを越えて伸び、雑誌記者の後頭部を蹴り飛ばす。
分ったぞ、お前の正体はタコか!
「はい下らん妄想は中央分離帯に放置して、でー?アタシは一体どーなんのー?」
「…………昨日一緒にメシ食いながら説明しなかったか?」
「その飲み屋に忘れてきた」

しょーがないので一から説明し直す。
「お前が何でうちの雑誌に連載出来るようになったのかは、編集長から聞いてるよな?」
「それも忘れてきた」
何かもうツッコミも合の手もめんどいので無視する事にする。
この、一介の怪人物である変人女が雑誌『クリプトロジー』に連載できている理由。
────彼女の文章を見てえらく気に入り、推薦してきた人物が居るのだ。


「誰それ?」
「…………覚えてないのかよ。うちの雑誌でも連載してる人だけど読んだ事無いか?」
「んー、つか雑誌自体読んだ事無いわぁー」
おいおい。
「兎に角、その人から直々のご指名。いいか?失礼なことすんなよ?」
「保障できませーん」


何という機嫌の悪さ。
これは間違いなく捻くれた性格が更に三回転半でツイストしている。
「で?行き先は?」
「…………山梨。富士五湖の辺りの十厘洞って所」
「あ、そ。じゃあたし寝てるから」
そう云ってタバコを窓からポイ捨てすると、変人女はそのまま横になってしまった。

………もう着くまで起こす気は無い。
着いた後どうなるかはもう考えたくも無いが。











やがて数時間。


変人女の肩が揺すられた。
「おーい、着いたぞー」
「…………んん?んむぅ〜…………」

やっぱり寝ぼけ眼の変人女。
しかし数時間の睡眠は彼女の精神を安定させたらしく、反応は幾分か大人しい。
「ほれ、旅館に入るから。起きろ」
「うぃぃ──…………    …………すぅ……」
変な声出して二度寝しやがった。ま、おいおい起きるまで待つとするか。
兎に角彼女が覚醒するまで、雑誌記者は駐車場で待つ事にする。


目の前には待ち合わせ場所の旅館。
玄関には大きな年代モノの木の看板に『有幡屋』と達筆っぽい屋号が書かれている。
地方によくある老舗温泉宿らしい。
全体的に看板と同じく木作りで、その姿は結構な風格と歴史を感じさせる。




────と、旅館から何人か出てきた。
見慣れたアブラギッシュヘッドの編集長と、それにタメを張らんばかりのデブの眼鏡。
その彼らを途中で追い越して出てきたのは────

「あ!……」

まずいまずい。
とっとと変人女を起こさなくては。後部座席の変人女を揺さぶる。
位置が悪くて危うく揺らすのが変人女の尻になりそうだったが、腰にしておく。
「えろすー」
だまらっしゃい妙なこと口走らんととっとと起きんか!


「やーああ久しぶりだね君ご苦労ご苦労うむうむ最近の調子はどうかねんん?んん?」


明朗快活息継ぎなし、なおかつ恐ろしく耳障りな声が響く。
変人女の寝顔の眉間に瞬間的に皺が寄った。

「…………どうも、お久しぶりです」
慌てて車から飛び出し丁寧に挨拶する雑誌記者。
しかし、
「で、えー噂の怪奇小説界期待の彗星神の舞い降りた超絶新人女流作家さんはいずこ?」
声の主にまくし立てられた。
「あ、え〜っと…………ですね、」
「ん〜?」
未だぼんやりネボケ風味で車から這いずり出てきた変人女を見て、
声の位置が瞬間移動。
「おお〜君かねっ!君かねッ!!君かねッッ!!君かねっッ!?君かねっッッ!!?」
勝手に変人女の手をシェイクシェイク、釣られて彼女の頭もシェイクシェイク。
まずいまずいぞ、変人女の顔がどんどん凶悪になっていく。

「…………誰?」
変人女が仁王さんも不動さんも萎縮しそうな凶眼で目の前の相手を睨みつけても、
「んんー!!いい表情いい表情!!革命者の眼は挑戦的でなければ!!」
その目の前の人物は、全くひるむ様子が無い。

「だから、誰」

変人女爆弾が臨界を超え起爆しそうだったので、慌てて雑誌記者が間に入った。
「あああスミ先生、自己紹介を………」
「ん、むむ?おうそうだったねすまんねすまんね」



咳払い一つ。

一際背の高いその人物が、一際大きな声で宣言した。
「私こそが、雑誌『クリプトン』の創刊をバックアップし尚且つ看板作家として活躍し──」
マンガみたいに整った口髭がピンと動く。
「日本怪奇小説界でルネサンスを巻き起こしポオの再来とまで呼ばれた────」
────そして自分の右手の親指で、自分を指した。


「怪奇小説家、”住之江紬明”だッ!よろしくぅ────!!」









寝起きの変人女がコメント。
「……ウザッ」







「え〜ではとりあえず皆さん揃ったことだし、そろそろ始めようかと思います」
と、スミ先生と一緒に出てきた眼鏡デブがのたまった。

「よろしいとっとと始めましょう!お〜い女将さんビール10本〜!!」
「ちょ先生、まだ昼間ですって!」
忠告空しく女将さんがそそくさと盆の上にビールを並べてやってきた。
てか何で冷酒もお盆に乗ってますか、”住之江先生”略してスミ先生?



場所は旅館『有幡屋』の宴会場『滝の間』。
ここを真昼間から貸し切って、スミ先生と編集長も交えてのミーティングである。
さて何のミーティングかというと、
「では、今回の番組”住之江紬明の怪奇探訪ファイルX”の主な流れを説明しますと……」

「……何これ?TV番組か何か?」
変人女が眼をう○こ座りさせたまま舟を漕ぎ漕ぎ聞いてきた。
「イグザクトリー!!その通りでございまーす!!」
スミ先生はちょっと落ち着いて下さい。


要するに、タイアップ番組である。
この辺りに有るという怪奇スポットへTV取材班と共に突入し、
TV番組はドキュメント風味の番組を制作、スミ先生はそれでレポートを書くそうだ。
ちなみにあの眼鏡デブは番組のプロデューサーだそうである。
「……アタシ何されんの?」
「キミは屋敷突入班の一人だ!何だったらレポーターをやってもらって構わなーい、よ?」
いかん、変人女の眼のう○こ座りップリが半端じゃなくなってきた。
野獣だ、野獣の眼の女が居る!と思ったら、
「プルプルプル…………」
寝息で唇を振るわせ始めた。おい起きんかコラ。


「んん!?ああ〜あああああそうそうキミキミ?」
どこぞの萎びた時計を描いた画家と独裁伍長殿を足しっぱなしな赤ら顔が覗き込む。
てかもう出来上がってるのかよ!
「ちょ!何ですか!?」
「そちらのレディに今回の怪奇スポットの詳細紹介は済ませてますかね?」
「え、ええ、まあ一応一通りは」
確か、昨日の飲み屋でその辺りは資料まで交えて変人女に説明した筈だ。なあ、おい?

「…………ぅみ?何?」
まずっ。
「知らないようですね、OK!この住之江紬明が微に入り細に入り余す所無く説明を!」
「!?……!!??」
…………やっちまった。酔ったスミ先生の長口舌は一晩明かしても止まる事は無い。
健闘を祈る。







さて、ここでスミ先生が展開し始めた怪奇スポットの由来をダイジェストしておこう。
ちなみに原文はそのまま現せば700pを超える大長編になる(スミ先生談)そうである。

昔々、といっても戦前の話らしいので100年とはいかない昔。
ここ十厘洞(とうりんどう、と読むらしい)に、とある古い名家があった。
元は周辺一体を納めていた土豪であり、当時でも大地主として周辺を治めていた。
時代が江戸、明治、大正と移り変わっても、その繁栄は不動であった。

その繁栄の源が、彼らの氏神。
『コソコソサマ』と呼ばれていたらしい。
屋敷の地下にある天然の大氷洞にて氏神様をお祭りしていたそうだ。
妙な秘祭もあったらしい。

ところがある時、米国帰りの末の息子が帰ってきてからおかしくなった。
次々と身内が死にそのまま党首の座に落ち着くと、屋敷を洋風に作り変えてしまった。
そして妙な機械を持ち込み、その洋館内に配置し始める。
その年周辺地域が異常な冷夏に襲われ、屋敷への反発の声まで出始めた。
しかし当主はそ知らぬ顔。
只、秋のお祭りの日に何かするらしかったという。

お祭り当日、一揆が起こった。
小作人達が鍬鉈鎌持ち屋敷に攻め寄せ、門を倒し扉を破いて洋館の中へと討ち入って、


皆消えた。


その場に居た全員が忽然と消えた、らしい。
らしい、というのは只の一人も目撃者が残っていなかったからだそうだ。
当然、屋敷の当主でさえも。

その後も屋敷に入り込む者が後を絶たなかったが、行方不明者が続出したらしい。
その内屋敷一体は忌地とされ、誰も近づかないよう地元の者は口をつぐんだ。
其の屋敷は今も荒れ果てた雑木林の中に立っているらしい。

それが今回の怪奇スポット”氷室の屋敷”の由来である。




「とゆー訳ですねぇ〜!分りましたか皆さん!?んん!?」
…………先生、皆船漕いでるのに誰も分かっちゃいませんて。
てか何で解説対象が皆になってるんですかチョット。







とりあえずゴネるスミ先生を何とか温泉へと連れ出して、その日はお開き。
撮影は明日から、つまり今日は泊りである。
あああ疲れた。
────とりあえず、雑誌記者は湯船に漬かって身をほぐす。

部屋に帰ってみると変人女が上がりこんでTVを見ていた。
「何やってんだ」
「んー、眼が冴えちゃって」
そう云って敷いた布団の上をゴロゴロ転がる。
「そりゃああんだけ眠ってればな…………って、何見てんだ?」
「予備調査の映像」


どうやら、事前にスタッフが現地調査した際の映像らしい。

────────普通の廃墟だった。
昼間だからかどうか、苔生し草生え自然に還ろうとする哀れな人工物にしか見えない。
一抹の憐憫は湧いて出ても、不気味さなど毛先ほども感じなかった。
「んー何?えろいの見たかった?あんた持ちで良ければ一緒に見たげるけどン?」
「とっとと自分の部屋に帰れ。TV位あっただろ?」
「壊れてたのよー。もうちょっとココで見せてー?」
「…………ヘイヘイ。終わったら帰れよ」
「うーい」



とりあえずもう一度部屋の外に出て、雑誌記者はジュースを買った。

椅子に座ってチビチビ飲みながら明日の事について考える。
────確か、屋敷の何処かに適当に神棚を設置してみるとか云ってた気がする。
まあ、あの雰囲気では面白くもなんとも無い。
氷洞だって有るかどうか。
ヤラセも悪くないだろう。
半分位で飲むのを止めたジュース缶を手洗いに放置して、雑誌記者は部屋に戻る。

まだ変人女が居た。
「おーいいいかげんにしろよー?明日眼が覚めなくなるぞー?」
うつ伏せに寝転び、枕を顎の下に置いてTVを眺める彼女の顔を覗き込む。

眼が真剣だった。
よく見れば、さっきから何度も同じ場面をリピートしている。
白い画面。
どうやら噂の大氷洞とやらの映像らしい。本当に有ったとは。
きらきらと白く光るその美しさは、確かに映像栄えする。
何かの舞台にはもってこいだ。

「ねえ…………これどう思う?」
「ん?────んー、まあ、キレイだわな」
「そうじゃなくって」
変人女がリモコンを操作し映像をコマ送りにした。
更にその中の、氷壁の一部を指差す。
「何だよ」
「これよ」

────────氷壁に、赤い点。
最初は画面の汚れかと思っていたが、ノイズの向こう側な以上どうやら違うらしい。
氷壁をつい、つついと動いて、その内見えなくなった。
「…………何だこりゃ。ゴキブリか?」
云った雑誌記者も思ったが、それもどうも不自然だ。
変人女がその言葉を継いだ。



「────コレ、あたしには”金魚”に見えるんだけど、気のせい?」










翌日昼、早速撮影が始まった。

旅館前の広場にて出演者一同が揃い、スミ先生を中心として並びながら歩く。
女性レポーターにどこぞの男性俳優、
霊能力者にどっかの新人お笑いコンビ。

勿論、むっつり顔の変人女も一緒である。
「ええ〜、先ずこの周辺、十厘洞の由来から解説していきましょうかね?先ず…………」
スミ先生は相変わらずの暴走多弁っぷりを発揮している。
…………センセ、画面上で霊能力者よりキャラが濃いってどうなんですか?
ADの制止カンペも効かず、そのまま路上独演会が開始された。

いやこの場合は辻説法か?
どっちにしろ誰も聞いちゃいない。東風か念仏かはご想像にお任せするとして、

「何ぼんやりしてんの?」
────雑誌記者が声に驚き振り返ると、変人女が後ろでコーヒーを飲んでいた。
「あら?撮影は?」
「こっそり一旦中断。センセが台本無視しているからって」
もう一度スミ先生のほうを見てみると、成る程カメラが廻っていない。
ということは何か?あの黙って聞いてるあの若い女性レポーターはタダ働きしてるのか?
「てか、例えるなら人身御供ねー。ありゃ」

…………スミ先生、あんた本当にハタ迷惑な人ですね…………



「そんな事よりさ、ちょいとちょいと」
「ん?」








目的の場所に着いた所で、そこに居たスタッフが尋ねてきた。

「あれ?もう撮影済んだんですか?プロデューサーが半日以上かかるって云ってたのに」
「いや、ちょいと下調べにね?センセが気ィ使ってくれちゃって〜」
────少し不審そうな顔をされたが、そのスタッフはそのまま自分の持ち場へ戻った。
どうやら既に”氷室の屋敷”にはスタッフが入り込み下準備をしているらしい。
その中を、堂々と変人女と雑誌記者が屋敷へと入っていく。
「…………お前、本当に口が廻るな」
「廻り過ぎないだけ、マシと思いなさい?」



屋敷の中は、勿論荒れていた。

長年の風雨による劣化は勿論の事、
あちこちに無軌道かつ下品な青春の象徴であるラクガキが晒されている。
窓ガラスは砕け散り、
タイルは剥がれ、
壁紙は柳の如し。

────白日の廃墟というものは何故かくも憐憫を誘われるのだろう?




「ぷぇくし、むむーぅ」
雑誌記者の詩心が、変人女が自分で払ったホコリでしたクシャミによって妨げられた。
「何やってんだよお前」
「ふへへ、ゴメンゴメン」
ポケットティッシュを取り出し、変人女に渡しながら雑誌記者が尋ねる。
「────気になるのか?昨日のアレ」
「…………んー、ま、ね」

そのまま、二階への階段を上がる。
屋敷内部の大部分を見渡せる位置まで来て、ふと奇妙なことに気がついた。

妙な構造をしている。
普通このような洋館というものは幾つもの部屋を持ち、半ば迷路めいた印象を受ける。
しかし、この屋敷には部屋が少ない。
というよりも屋敷全体が一つの部屋のような構造をしている。
屋敷内部で目立つのは梁と柱と窓ばかりで、中央部分は大きく吹き抜けになっていた。
端の方に個室へのドアへ繋がる渡り廊下があるが、その数も数える程だ。
「────────そうか」
この広い空間、何かに似ていると思ったら工場だ。
人の住む為の場所じゃない気がする。



変人女に付いて行って二階の渡り廊下の突き当たりに至る。
ドアノブを回す。
錆びていたらしく、バキリという嫌な軋音を立てて開いた。

「…………これ、書斎か?」
「ん。昨日の映像にちょいと映ってた。書斎とは────ちょっと違うようだけど」
確かに。
部屋は大きく二つのエリアに分かれていた。
一つは入ったすぐの所、本棚と大きな木の机が置かれた場所。
本棚には誰かが持ち出したか書籍は殆ど残っておらず、がらんと開いている。
机の上も、載っているのはホコリと瓦礫だけ。

もう一つは入って右手。
うねるガラス管、並ぶ真空管、リベット配線電極の群れ。巨大な装置が並んでいた。
装置そのものは据付らしく、一部は床や壁を貫通している。
ツマミやら何かのスコープやレバーからして、原子炉の制御室のような印象だ。

変人女が、床に落ちていたホコリまみれの本を拾い上げる。
ホコリにまみれて尚黒々とした皮表紙。
何語かも分らない筆記体の文字。
────ページを開くと同時に、中身を確認する暇も無く中心から裂けボソリと落ちた。
「この屋敷の主人、科学者か何かだったのかしらね…………」




裏表紙に名前が見えた。達筆な、古風な漢字。
────”綾窪修太郎”。





表から声が聞こえた。
「すいませ〜ん、先生方着きました、けど…………」
気がつけば、もう夕方。結局噂の氷洞は見られなかった。

撮影が始まる。








「うん、みなちゃんその辺その辺。はいじゃ本番いきまーす!!」


夕闇迫る中、幾つもの投光機を使用して撮影が始まった。
よくよく見ればあの女性レポーター、幾つもレギュラーを持っている人気女性アナだった。
スミ先生、結構TV局にも顔が利くらしい。
変人女はそんなそうそうたる顔ぶれの中、中途半端にのらりくらり。
目立つ格好と図体のくせして余り目立たない様に立ち回っている。

で、雑誌記者といえばヒマを持て余していた。
彼は一応雑誌記事の為にココに居るものの、実際は変人女の付き添いみたいなもの。
自分と余り関りない世界が始まれば出番は無い。
────目の前でのらくらしながら、それでも結構サマになっている変人女を見つめた。


何というか、遠い気がした。


「や、どうも」
横から眼鏡デブのプロデューサーに声をかけられた。確か名前は曽根、だったか。
「お暇そうですねー。手、空いてます?」
何事かと思ったら屋敷内の撮影準備を手伝って欲しいという。未だ済んでなかったのか?
「だってスミ先生が邪魔してくれちゃってねー、申し訳ない、お願い出来ません?」





「えー、この屋敷の地下には富士山の火山活動によって出来た氷洞がありまして……」
カメラの前で格好つけながら早口で解説していくスミ先生。
付き添ってるみなちゃんとかいうレポーターもカメラマンも付いていくのに大変なようだ。
男性俳優もお笑いコンビも霊能力者でさえ影が薄い。
喰ってやがる……。
そのスミ先生の応対で大わらわな連中の背後で、



変人女が一人眉を顰め、洋館を見上げる。

投光機に照らし出された洋館。
苔生し蔦這う其の姿に、何故か妙に違和感を感じた。

────────まるで、映画セットのハリボテのような。


「んん────?どうしました?微妙にアンニュイな顔しちゃって?」
シーンが終わったらしいスミ先生に横から覗き込まれた。
「────いえ」
スミ先生により微妙な手つきで腰に回されたエスコートな手つきを無視して、
彼女は皆と一緒に屋敷の中へ向かう。




脳裏に有るのは只一つの疑念。
何故こんな低緯度かつ低高度の場所、そしてこんな暖かい季節に、

”氷洞”が存在しているのだろう?









「うわ────ッ、すっ、げっ!?」
「どうだ、見事だろー!?」
「いや、寒いッス」

両の二の腕をさすりながら雑誌記者は周囲を見回した。
確かに凄い。
地下室の入ると同時に見えた透き通った壁は、
水ではない。
ガラスでもない。

氷の壁だ。
所々霜が付いたり割れ目が入ったりしているが、それでもその透明度は半端ではない。


春用の薄手の服装に冷気を染み入らせながら、氷洞を進む。
眩暈を起こしそうだった。
所々に設置された光源からの灯りは殆ど反射せず、光の屈折で周辺環境を顕している。
霜や割れ目の白はきらきらと光り輝き、眼に虹色の残像を残した。
氷洞のトンネルはほぼ同じ形で、何処と無く人工物めいている。
構成素材は全く違うのに、雑誌記者は遊園地のミラーハウスを思い出した。

よくよく見れば息が白い。そりゃそうだ、氷が存在してるんだから氷点下だろう。
「天然の冷蔵庫だからね〜、我慢してくれー?動いてればヘッチャラだし!」
そういう先導のメインディレクターは、自分だけ厚手のコートを着込んでいた。


「おーい、出来てるー?」
「あ、大体は」
氷洞の中のT字路でAD数人が作業していた。
見れば手にノコギリカナヅチ。目の前には白木で出来た妙な台。
どーにも安い神棚っぽい。
「もうちょっとでスミ先生来るぞー?思い通りにならないとあの人怖いぜー?」

…………────ヤラセですか。
ホンマにあの人は。



とりあえずハナミズ垂らしているAD達を一刻も早く救うべく、雑誌記者も手伝いに入った。
何気に手がかじかんでくる。
────何で世間では桜が咲こうという季節に、俺はこんな事してるんだ?
雑誌記者の自問自答は、恐らく哀れなAD達と共感していただろう。

そんな事お構いなしとでも云うように、氷洞の奥からMDの罵声が響いてきた。
「おおい、誰だこんなモン置いたの!何だこれ!?おい伊波!」
名前を呼ばれたらしい女性ADが慌てて向かった。
見ればイライラと靴を鳴らすMDの前に、妙な物体が見えた。
ADが小声でもそもそ云う。
「いや、それここに来た時から在りましたけど…………」

妙な物体だった。
どうも天井から下がっているらしく、錆び付いたダクトみたいな管が付いている。
見た目は大きな金属板だ。
それが複数氷壁から天井にかけて下がっている。
────見ようによってはヘタな現代芸術作品に見えなくも無い。
「ああもう…………おい、カタしとくから手ェ貸せ」
MDが金属板に手をかけ、壁から引き剥がそうとガコガコ動かす。
しかし結構丈夫かつ重いらしく、少しも動く気配が無い。




視界の端、

赤いモノ。




振り向いた途端、何処かでパチンと音がした。












「え…………ちょ」
「何?悲鳴?」

キョドる女性レポーター。取り囲む撮影スタッフがざわざわと色めき立つ。
スタッフ数人が屋敷の奥の方から悲鳴を聞いたらしい。
「おおッ────……これはまさか、ラップ音!?ですよね!?」
「え!?あ、ええはいそのようで」
眼も表情も生き生きしっぱなしのスミ先生。霊能力者とやらは聞こえてなかったらしい。
とりあえず聞こえてきた方向へ向かう。

下へ向かう階段。その方向にはこれしかない。
プロデューサーが呟く。
「ここ…………後で撮影予定の氷洞ですよ」





階下に降りる撮影スタッフ一行。
氷洞の異次元的美しさに感嘆しながらも、その奥から聞こえる声に従って進む。
────変人女の、嫌な予感。
自然、はしゃいで浮き足立っているスミ先生よりも前に出た。

氷洞の奥で数人が座り込んでいた。
AD2、3人と雑誌記者。全員一方向を向いて呆然としている。
女性のADは肩を抱いて震えていた。
「おやキミタチ…………何やってるんですか?悲鳴の主はイズコ?」

「…………消えた」
「はい?」
「MDの大泉さんが、消えちゃった」

「はあ?」
証言に呆れかえるスミ先生。予定外の自体は余り素早く認識出来ないらしい。
彼らをよそに、変人女は雑誌記者の頬を叩く。
「何があったの?」
「…………────分らん、でも、ついさっき、目の前で人が消えた」






其の背後に、

モノトーンの人間一人。





瞬間的に、変人女が雑誌記者を氷壁から引き剥がした。
「え!?」
「ちょ、何…………うわわっ!?」
悲鳴と共にその氷壁に視線が集まる。
単色の人間が、黒目だけでこちらを見ていた。
────────そのモノトーン人間の姿はまさしく、
「お…………大泉?」


「ひィやああああああああっ!?」
一際カン高い悲鳴が響いた。振り向くと女性レポーターが転倒している。
起き上がろうともがく彼女の足許の氷床に、

色の無い人間が、三人。

レポーターは必死で立ち上がろうとするが、何かに引っ張られているように立てない。
いや、実際引っ張られていた。
モノトーンの人間達が、足許で彼女の足を捕まえ捉えて引きずっていく。
氷の中から、届いても居ないのに。

「ちょ、押さえろ!!」
プロデューサーの掛け声と共に数人が駆け寄り、レポーターの腕を取った。
氷柱の人間と力は五分らしく、全く動かない。雑誌記者も助けに入る。
押さえていた一人が、−ドライバーで氷中人間に攻撃しようと氷床をガチガチと叩いた。
しかし、硬く凍りついた氷には歯が立たない。
黒目だけの顔が、あざ笑うようにふらふらと白く砕けた床の下を揺らめいた。


────何かの機材の倒れた音。
今度はカメラマンが転倒した。足許にはまたいくつものモノトーンの人影が群れている。
傍に居たスミ先生は、呆然と立ち尽くしていた。
「先生!!!」
変人女の声でスミ先生は我に帰った。慌てて一緒にカメラマンの腕を掴む。

ふと足許を見ると────────氷中人間が、群れていた。
その様はゴンズイ玉か麩に群れる池のコイを想起させる。
それらが、氷の中から変人女達を引っ張り始めた。
「ちょ────おい!?」
ようやく女性レポーターを救い出した雑誌記者が変人女に駆け寄る。
彼女の肩を掴み、カメラマンのジーンズを掴むその指を見て、ぞっとした。
小指。薬指。中指。
見えざる力によって、掴んでいた筈の指が一つづつ外されていく。
スミ先生の指も同じだ。
そして、


「うわああああああ────…………」

遂に繋がっていた指全てが外されたカメラマンが、氷の床の上を引きずられていった。
必死にもがくその手には一本の藁も蜘蛛の糸も絡まることは無い。
そうしてあの妙な金属板オブジェの所まで引きずられていって、


パチンと消えた。



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