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木曜日の円盤








白亜に輝くビルが立ち並ぶ街。


日差しはようやく冬のうす曇りを抜け出し、久々に暖かな気温を振りまいている。
眼下の公園では、芽吹き始めた新緑の中に人々が憩う。

恋人同士がベンチで座り隣同士で肩を寄せ合い口付けをし、
はしゃいで走り回る子供を乳母車を押す母親が追い、
老夫婦が自分達の人生を振り返りながら歩む。




それらを見下ろす視線が一つ。
曲げたブラインドから指を外し、その光溢れる世界から視線を逸らした。

そこは薄暗いビル内の一室で、電気は付いていない。
光源は下ろされたブラインドとPCの液晶モニタで、タバコの煙により拡散される。
PCモニタに映し出されたウインドウには幾つもの表。
その中の数値が、リアルタイムで次々と自動的に更新されてゆく。


「よォ、ボスからの連絡はあったか?」
コーヒーの香り立つマグカップを二つ持って、長身の白人男性が入ってきた。
「────いや、今日はまだだ。指示は無い」
マグカップの内一つを無愛想に受け取り、東洋系の男が自分の席に静かに座った。
「一昨日のが最期だ。作業継続だよ」
「あっそ」
白人の男が大げさに肩をすくめPCの画面を覗き込み、コーヒーを一口。

「にしても最近変動が激しいよなぁ、誰か何か仕掛けてんのかね?」
「知らん」
「今日はどうだ?何か面白そうな動きあったか?」
「確認していない」

まったくもって無愛想。
白人の男は眉を顰め、大げさに頭を振った。
一応チームを組んだ仕事仲間であるものの、スタイルの違いを埋めるのは難しい。
白人の男はおしゃべりで騒ぎながら。
東洋系の男は黙して集中しながら。
同じ仕事内容だというのにここまで態度が違うと仕事にも影響が出るかもしれない。
全くもって困ったものだ。


というわけで、白人の男が打ち解ける為の話題投下。
「んー、今日もまた空飛ぶ円盤様のお出ましかねぇ?」

「……なんだそれは?」
東洋系の男が食いついてきた。内心ニヤリとしながら説明する。
「知らねェ?けっこー噂になってるジンクスなんだけどよー?」
「いや、全く知らんが。どんな内容だ」
結構こういうのは気にするのだろうか。
さすがチャイニーズ、風水の国はダテじゃない。


「毎週木曜日、アソコの上空に空飛ぶ円盤が現れると大変動が起こるんだとさ」




「…………ハッ!」
────────おおげさに肩をすくめて、鼻で笑われてしまった。
「バカじゃないのか?」
「……バカにすんな。あとマネすんな」
「マネじゃないさ、一応私もアメリカ人だ。でもそのジンクスはいくらなんでもな?」
「信じねェのか?」
口を某有名アヒルが事故ったみたいにひん曲がらせて白人の男が抗議する。
「信じられんな」
東洋系の男は余裕綽々。只ニヤニヤと笑っている。
「────じゃあ、賭けるか?ホントか嘘か」
「いいだろう。じゃあ私は嘘に10セント」
「じゃあ俺はホントに20セントだ」



PCから警報音が鳴った。二人同時にモニタに振り向く。
「ん、来たな。動きが始めたようだ」
東洋系の男は座りなおし、その数字の動きに素早く対応していく。
「お前もとっとと手伝え。ノリがいいのは口だけじゃないんだろう?」
「アイサー」
ふざけ気味に敬礼をして白人の男も近くのPCを立ち上げ、同じ操作をし始めた。


「おい!」
いきなり扉が勢いよく開いた。同じチームのラテン系の男だ。
丸眼鏡に某配管工みたいな口髭をもっさもっさ動かしながら入ってくる。
「何だお前、休憩中じゃなかったのか?」
「いや、それどころじゃなくってさ!」
「あーもー分ったからそのメガマックどっかに置け!ケチャップが垂れる!シェイクも!!」
何かと思えば今すぐTVニュースを見ろという。
だがこの仕事場にTVは無い。
「ネットでもいい!すぐどっかのNEWSチャンネル見ろ!!」
「今重要な取引中だ。見てもいいがそれによる損害はお前が補償するのか?」
「てかお前も手伝え。休憩終わりー」
「いいから見てみろって!!」

ラテン系の男が近くのPCを操作し配信中のニュース画面を映し出した。
有名な某ニュース専用TV局だが、何故か今日は中継生放送をしているらしい。
「ホラ!!」
「ったく…………何だってんだ」
急かされてしょうがなく二人はニュースを見た。
白人の男はしかめっ面でブツブツ云っている。



しかしTVニュースを見た途端、その顔が満面の笑みに変わった。




「…………俺の勝ち、だな?ふふん」
ニヤニヤ顔で東洋系の男の顔を見る。
東洋系の男は舌打一つ、コインを弾いた。白人の男が空中でソレをぱっと掴む。
「さ、仕事を再開するぞ。大分ロスした」
「アーイサー♪」

表情を変えずにTV画面の前を離れる東洋系の男。
鼻歌交じりにおどけながら席に戻る白人の男。
画面の前で食事を再開するラテン系の男。
────そしてTV画面の中で、レポーターが少し興奮気味に中継していた。






『見ろ!生中継だぞCGや合成じゃないぞ!?遂に捉えた!!
 イェス!!イェスイェスイェス!!!
 疑うならNYの奴は空を見ろ!それ以外の奴はNYの友達に聞け!え、何!?
 ────あー失礼、ああ失礼。
 ええ、今日の午後二時前位、かねてから噂ではあったんですが、
 NYウォール街証券取引所上空に空飛ぶ円盤が出現し、それを我々取材班が……』












翳に揺らめく青い焔。


囂々と炎熱は鈍い金色の器を焦がし、黒々と周りを囲う金属へ高熱を拡散する。
やがて器の上部がカタカタを振動を始め、白く激しい蒸気が湧き上がるとともに
単調な笛の如き音が響き渡り、
その音に反射するように呼び寄せられ、ひび割れた黒い樹脂を掴んだ掌が────







「うわちゃっ!?」

ヤケドしかけて慌ててヤカンをコンロに戻した。


とりあえず傍にあった銀行の刺繍入りタオルでヤカンを掴み、カップ麺にお湯を注ぐ。
フタの上へリサイクルしたプラスチックのフォークを重しに置いて、
雑誌記者はやれやれ、一息。

「何だお前、随分ショボイ飯だな〜?」
出来上がりを待つだけのスーパーカップにケチを付けられる。
顔を上げると給湯室に編集長が入ってきた。どうやらヤニ補給にでも来たらしい。
「ええ、実は…………」
「馬か?牌か?それともパチかスロか?……!!もしや違法カジノ…………」
「…………恐らく、全部です」



実は雑誌記者、この前の遭難騒ぎから数日後にスミ先生に誘われていた。
というか連れさらわれた。何をするかと思えば

…………────────数日かけたバクチ三昧。

『あの事件及び入院で湿気ってしまった気分を点火させる景気付け!』
とか云う名目だった気がする。
もとより賭け事は苦手な雑誌記者、最終的にすってんてん。
お陰で給料一か月分のフクちゃんナっちゃん部隊が帰らぬ旅に出る始末だった。
────まあ、同じく拉致された変人女もおケラ化発狂した訳だが。

ちなみにスミ先生は一人勝ち。
今日は水曜日、給料日まで後何日だったっけ?
ああ人生はなんという不公平、不平等。なしてこげな目にあうとですか。





「あー成る程、スミ先生か。ま、接待だと思って我慢しろや。なぁ?」
「接待なら経費で落としてくださいよー、編集長〜?」
「落とすなーら領収書ー、宛名に、ハンコに、但し書きまではっきりとー♪」

…………小坂に聞かれてしまった。てか何だその歌。

ヤレヤレといった顔で笑った編集長はそのままの顔で脂フレッシュな頭を掻いた。
「しゃーねーなあ?じゃあ久々におごっちゃる!」
「!!マジすか!?」
「おうよ!何がいい!」
「え!?あ、えーとじゃあどっか飲み屋……いや折角だから焼きにry)」
自らの社会的地位と欲望の狭間で演算を開始した雑誌記者を、太い掌が遮った。
「たーだーし、条件がある」




パテーションの隙間からそっと覗く。
「あれですか」
「あれだわな」
「……さいですか」
「じゃ頼むな。丁チョ────────に追い返せ。ミッションコンプリートで焼肉だ」
そう云うと編集長は外回りへと出かけていった。
後姿を少しばかり見送って、再びパテーションの中、接客スペースのソファの上を見る。

何か変なの居た。

変といえば職業柄、変人女やスミ先生を筆頭に何人も変人を知っている。
しかし性格も知らずに見た目だけでヤバイと思えるのは初めてだった。

あーもう正直に話します。
黒人さんがいます。
でも自分はその横の刺青パンクトンガリ野郎の方がもーっと怖いです。
そしてその真ん中に平然と座る大学生風ジャップがいーちばん不気味です。
正直、間違い無く往来で固有結界を発動させドン引きさせているであろう一団である。

────だがしかし、焼肉の為!
雑誌記者は勇気を振り絞り、死地へ向かう為の足を踏み出す。
あ、そういやラーメン忘れてた。
とっとと済まそ。





結構普通でした。
まあ、初っ端黒人がむっちゃ丁寧な日本語で喋り出したのはビックリしたが。
三人中二人がえらく聞き取りやすい言葉を使って自己紹介をしてきたが、ここは割愛。
その後の話がえらく分りにくく、そのクセ印象深かったのだ。
一応理解できた内容、それは

「…………────────この携帯電話にかけてくる発信者を、見つけてください」

携帯電話を差し出された。
かなり古い型らしく、大きさはTVのリモコンを少し超える位。
カメラ機能も無いようだ。その割りに外装はえらく真新しいのだが何故だろう。
「この携帯に掛けてくる奴は一人だけです。そいつを見つけてください」

「見つけてどうすんの?」
「…………それは」
何故か三人とも黙ってしまった。つか喋れよパンク野郎。
どちらにしても管轄外だ。
ここは電話会社でも電電公社でも興信所でもなく、単なる出版社なのだ。
懇切丁寧かつ迅速に説明してお帰り願う。
つかラーメンのびるから、な?

「いや、でもですね、こういうのは」
「お帰り下さい」
ラーメンを気にする余り無理矢理話を切り上げようする雑誌記者のソデを、
誰かが掴んだ。
思わず振り向くと、


────か細い、今にも消え入りそうな少女の声で、
「…………お願いします」

パンク野郎、もとい女が喋っていた。










「ン────……で、何であたしな訳よ?」


お馴染み第二九龍城、その奥にある変人女の根城である。

雑誌記者は最近ようやく場所を完全に把握できて迷わず行けるようになった。
それでも慣れてない三人を連れてひいこらヒーヒー云いながら辿りついてみると、
変人女がめんたつの鼻歌を歌いながらラーメンに湯を注いでいた訳で。
ああ変人女よお前もか!?
「理由になっとらん」
一際大きな声を上げた後、変人女は割り箸の限界とも思える量の麺を一気にすする。
あー、そういえばラーメン食べるの忘れてた。
ハラへったナリィ…………

「殺助自重しろ。あんたさー、あたしの事便利屋とかなんでも屋とカンチガイしてない?」
「違うのか?」
「違うわよこのヘソのゴマ野郎」
何ですかそのお食事中に微妙な例えは。



で、相変わらずのもりそばひっくり返しワールドの隅っこ。
そこに例の三人組が所在無げに座っている。
三人分の強烈な個性も変人女の牙城では形無しらしい。
その三人と手前の机の上に置かれた例の携帯をチラと見て、変人女は汁を啜りこむ。
「携帯の逆探知っつってもねェ…………警察じゃないんだから」
────ま、当然か。出来る事と出来ない事があるのは人間なら当然だ。
「すまん、悪かった」
「判ればよろし」
そう云って、変人女は最後の一滴までラーメンのスープを飲み込んだ。


変人女がラーメンガラを片付けている間、雑誌記者はあの携帯を手に取ってみる。
電源を付け操作すると色数の少ない液晶がチカチカ瞬く。
着信履歴を見てみればずらりと並んだ非通知設定。
多分全て同じ相手だろう。
「大体、この通話相手ってどんな奴なんだ?この携帯ってそいつ専用か?」
「……その辺りも、お話したと思いますが」
────あれ、そうだっけ?いやもう全く記憶に残ってなくって。

少し呆れ気味の変人女が手を拭き拭きゴミ置き場から戻ってきた。
「あんた一体、何しに来たのよ」






ピリリリリリリリリリ、ぴりりりりりりりりりり。






いきなりの着信音。
隅の三人が急に縮み上がった。どうやら怯えているらしい。
そんなに怖い相手なのか?

「…………丁度いいじゃん?」
ニヤリと笑うと、変人女は雑誌記者の手から携帯を奪い取った。
「ちょ!?」
慌てて取り返そうとする雑誌記者にアイアンクローを喰らわせながら、通話ボタンをオン。
「は〜いもしもし〜?あたしはアタシであたしなんだけどアンタ一体誰ー?」







少々の沈黙の後。

『…………ワタシハ、5605マン7048ドル32セント』







「はぁ?」
変人女の上げた奇声と同時に、通話が途切れた。
「ちょ!?ええ??……────────何一体?何こいつ??」

「あーすまん、後は頼む」
そそくさと荷物を片付け始める雑誌記者。
何てゆーかもう付き合ってられん。
「今日は早めに帰社しないといけないんでな、じゃーなー!」

背後で何かを喚く変人女を放置して、雑誌記者は第二九龍城脱出に向けて走り出した。
何せ昼飯も抜いててハラ減りっぱなしだ。
どうせあのラーメンはもう片されてるだろう。

ならば焼肉を!
編集長の奢りである焼肉を!
飽くまでも焼肉を!!

栄光の焼肉を!!!


焼肉を!!!!








……恐らく体感で光速よりも早く帰社したはずの雑誌記者を会社で待っていたのは、
帰った編集長の達筆書置き『ちゃんと食えよ』と、
きしめんみたいに伸びた昼のラーメンだけだった。










ピリリリリリリリリリ、ぴりりりりりりりりりり。



…………目覚ましコールをセットした覚えは無い。
今日は平日の水曜日、しかし久々の休日だ。
焼肉喰いっぱぐれた悲しい空きっ腹を慰めるには絶好の日だというのに、何事だ?

足りない血中糖分を限界まで使い切りながら、雑誌記者は必死こいて携帯を取る。
変人女からの着信だった。
前に無視して酷い目に遭った気がするが、お脳の引き出しが開かないので無視。
マナーモードにして、快楽中枢に従い二度寝開始。


…………今度は携帯がブイブイ駄々こねております。
あーもーうるさい着信拒否してやると思って携帯を見ると、編集長からだった。
とりあえず、通話。

『おお〜い起きろッツッッ!!休み中すまんが出てきてくれんか!?人手が足りん!!』

アアンもう休日に声帯にまで脂身タップリな編集長の声なぞ聞きたかないわ。
『おい!?聞いてるかお前!大丈夫残業扱いしてやるから!とっとと出てこい!!』
俺の血糖値を裏切った人間の言葉など信用できませーん。
オヤスミナサイ。




『…………焼肉』

『忘れてたよな焼肉?』
……
『出てきたら奢るぞ?時間的に難しかったら別のでも、寿司でもどうだ?回ってない奴」
………









とゆーわけで休日返上して出てまいりました雑誌記者。

寝癖直しもそこそこに出社しようと思ったら、そのまま別の所へ行けとの上司命令。
『つかな、おまえん家の方が近いから!だから電話したんだよ!」
他に行ける奴居なかったんかいとも思ったが、居なかったらしい。
緊急スクープ取材だそうだ。
行き先は東京中央区、兜町。


一足遅かったらしい。
既に現場はマスコミと野次馬とヘリばかりで、それを警察が必死で整理していた。
遅れてきた雑誌記者には毛の先程も入るスキは無い。
話を聞けば、既にスクープ元は現場から消えてしまったそうだ。
「…………やれやれ」
折角編集長に寿司奢ってもらえると思ったのに、無駄足だったか?

野次馬は皆空を見上げて話をし、TVらしきカメラもまた蒼穹をそのレンズに映している。
奇妙なのは、マスコミらしき白いヘリにモスグリーンのヘリも混じっている点だ。
とりあえず携帯を取り出しニュースサイトを探してみる。
────────あった。矢張りネットの情報は早い。



◆◆◆東京上空に空飛ぶ円盤出現、多くのサラリーマンが驚愕!!◆◆◆
───────────────────────────────────
・本日午後11時20分頃、東京都中央区兜町上空に突如未確認飛行物体が出現。
 暫く上空をゆっくりと飛行、旋回した後約15分後に消失。行方は不明。
・形状は多数の畝を持つ円盤型。大きさは目撃証言により差があり、不明。
・明確な意思表示や攻撃などは見られなかった。正し東京株式市場のサーバを
 始めとして周辺地域の電子機器に動作不良が発生、円盤出現も相まって
 一時周辺は混乱に包まれた。
・出現まで自衛隊のレーダーにも都民の目にも捉えられていなかった。
 引き続き自衛隊による探索は行われる模様。

→投稿画像 ・某ホテル11階より撮影(動画有り)
         ・路上より撮影
         ・路上より連続撮影




成る程、やっぱりあのヘリは自衛隊か。
どちらにしてもこの場ではこれ以上の情報は手に入らないだろう、先を越され過ぎている。
もう編集部に帰るしかないが────奢りはナシかな?
回ってない寿司でもいいから奢ってくれんもんかいな。


「「日本にも来たのか……」」
「「……ジンクス、適用されるのかね?」」

────何か妙な内容の話し声が雑誌記者の脳髄に認識される前に、懐が震えた。
取り出せばまた変人女の着信だ。
しつこいが何かあったのか?
溜息ついて通話オン。まあ、聞くだけ聞いてみるか。
編集長の奢りがあるだろうから何かするならその後だけど。
「もしもし〜?」







一時間後、湾岸地帯の第二九龍城。
変人女の部屋にて。
「とゆーわけで、コレあんたがどうにかしんさい」



変人女が閻魔様も引きこもりそうな恐ろしい声で呼び出してきたので向かった雑誌記者。
着いたとたんに正座させられ、あの古い携帯を手渡されたのだった。
「どうにかって────分ったのか?あの発信者」
「何にも」
「じゃあ、何で」
「逃げられたのよあの三人に」

彼女曰く、昨日雑誌記者が帰った後この携帯の処遇について三人と話し合い、
ちゃんと飯も奢ってやり、
とりあえず泊る所も無いので奥の部屋に泊めてやった所、
今朝起きたら置手紙とともに携帯が置き去りにされていたのだという。

「置手紙って?」
「これよ」
変人女が取り出したのは油紙一枚。昨日の晩御飯の包装紙だそうだ。
その表面に、文字が書かれていた。
……というよりもこれは文字なのか?
「さあ?アルファベットにしちゃ文字数が多いし、かといってこんな表意文字知らないし」
「そこまで調べたのかお前?俺にはミステリーサークルが並んでるようにしか見えんが」
「あてずっぽよ。只あたしの思い出す限りでは判んないって事」

両手で掴み、雑誌記者はまじまじと眺める。
どうも妙な置手紙だ。
油紙に書かれてるのも奇妙だが、この文字どうやって書いた?
まるで印刷、もしくはあぶり出しのように焦げ目が表面に文字を作っている。
「これ、ホントに置手紙か?」
「さあ?一緒に置いてたんだから置手紙でしょ?」


もしかしたら、何かのおまじないなのかもしれない。
それほどこの携帯の発信者が恐ろしかったのではなかろうか?そう思う。
「悪魔祓いの魔方陣て訳?そんな迷信の類は信じてそうに思えなかったけどね」
「何でだよ?」
「あいつらの職業、何だったか知ってた?」
「いや…………何だ?どっかのインディーズバンドか?」
「違うわよ。あいつら────ネットトレーダーよ」
「何だそりゃ?ますますコアなファン知らなさそうなインディーズバンドっぽいが?」

変人女に呆れられてしまった。
要するに、ネットで株や先物取引をして利益を出す職業だ。
もっとも昨今は一般人でもネットで株を運用できるのだから線引きは曖昧なのだが。
「それでも彼ら、結構な利益を出してたそうよ。自慢げに語ってた」
その彼らの話し振りからして間違いなく現実主義者であろうと思ったという。
じゃ何か。あのパンクはファッションか?
「じゃない?ま、とりあえずそんな訳で、処分ヨロシクぅ」

そう云って変人女はくるりと背を向けた。
「ちょっと待て、携帯の処分てどうすりゃいいんだ?」
「いーじゃないの壊すなり捨てるなり。あたしはメンドい事関りたくないからパスぅー♪」






ピリリリリリリリリリ、ぴりりりりりりりりりり。

再び、あの携帯が鳴り始めた。ビビリながら雑誌記者が手に取る。
変人女をチラと見ると、顎で取れ取れとジェスチャーしやがった。
しょうがなしに通話ボタン。
「……────もしもし?」






『…………ワタシハ、5718マン2298ドル11セント』




「…………え?いやあの」
『サクジツテイジホウコクナシ、カツドウケイセキミカクニン、ショウガイアラバホウコクセヨ』
「は?いやですから、あの、私は…………」
『セイモンフイッチ』
「あの」
『ケイゾクシャナラトウロクヨウス、ナヲナノレ』
「いや、私そういうものでは」
『イシカクニン』







切れた。何なんだ一体?
「────声聞いた?電話の主の」
「ああ、何だこれ?あの声変えるガスでも使ってるのか?」
「ヘリウムの事?そんな感じでもなかったけど。変声機でも使ってんでしょーね」


結局、その携帯は雑誌記者が持って帰る事になった。
既に夜、会社に行ったって編集長はもう居ないに違いない。
また喰いっぱぐれた。
「まーまーそう愚痴らずに。これでもやるから」
変人女が手渡してきたのは冷めて固くなった中華まん。昨晩の残りらしい。
わびしい晩飯予定を手にして、雑誌記者は変人女の部屋のドアをバタンと閉じる。




────そのドアの外側に、あの妙な文字が刻まれていた。











翌日朝。


結局、あの後編集長に頼んで昨日は出勤扱いにしてもらった。
雑誌記者は再び隙間風吹き抜ける胃袋を抱えて、自宅に寝っ転がっている。
ええーと今日って何曜日だっけ?木曜日?

…………眠れない。ハラへった。
昨日の変人女のくれた中華まんは帰宅後すぐ食べてしまった。
それも腹の足しになってない。
「……行くか、コンビニ」
いかんな体が動かん。
動ける分のエネルギーだけでも補給しなければ。


ちょいとばかり身支度をして財布をポケットに入れ、携帯を手に取った所で気付いた。
あの、古い携帯。
結局持って帰ってしまったが、アレから一切この携帯に着信は無い。
まあこの携帯にはマナーモードとか一切無いもんだからありがたいと云えばそうだが。
あの妙な合成めいた声は、一体何だったのだろう?
「────ま、いいか」
明日にでも捨てに行こう。近所の河川敷にでも。



おにぎり二つに野菜ジュース。
朝飯ならこんなもんだろう、とビニール袋を覗きながらアパートの階段を上がっていく。
と、隣今時珍しい見事なパンチパーマのオバサンに呼び止められた。
ちなみにお隣さんである。
「あ、どもおはようございますー」
「おはよ!それより、ケータイ鳴ってるわよアナタの部屋で!かなり長い間!」
…………へ?
急いで自室のドアに鍵を挿しながら耳を澄ますと、確かに聞こえる。
ポケットに手を当てた。確かに自分の携帯は持って出ている。
ということは────


あの携帯か。
取っ手を掴み、ゆっくりと鉄の戸を軋ませながら開放していく。
部屋の中には異常は無い。只机の上に置きっぱなしにした古い携帯が鳴り響いていて、
────止まった。
そりゃそうだ、何をビビる事がある?
たかが携帯の着信じゃないか。
自分の抱いていた警戒心に半ば呆れながら草履を脱ぎ、部屋に上がる。
さっきまで騒がしく鳴いていた古い携帯を小突いて、ビニール袋を机の上に置き、



…………何じゃこりゃ。
タバコのコゲ跡?いや自分は殆どタバコは吸わないし、スモーカーが最近来たことも無い。
それにこれは偶然のコゲ跡というより、

────────机一面についた、謎の文字列。




ピリリリリリリリリリ、ぴりりりりりりりりりり。

ビクリと反応する雑誌記者。再び古い携帯がクズカゴの影で鳴り始めた。
何なんだ?この現象は一体何だ?
この謎の文字列は携帯電話の向うの人物がやったのか?
あの三人組じゃなかったのか?
じゃあ変人女の家のドアのも、あの油紙のもそうなのか?
────思考を巡らせている間にも、古い携帯は自らの存在を主張している。

意を決し、
手に取った。




「…………もしもし」
『────────おや、日本人ですか?という事はそこは日本?』
意外にも流暢な、でも少しばかり外国訛りの日本語が聞こえてきた。
昨日の電話の主とは違う、”生きた”言葉。




────されど続く言葉は、奇怪な言葉。









PC画面が煌々と輝く薄暗がりの中、携帯が取られる。



「あぁ、あんた?どしたのさ何か用?
 ────ん?ああ昨日の携帯?あんたまだ捨ててなかったの?全く…………」


薄明かりを頼りに椅子に座った。

「え、んん?そう。その携帯すぐに捨てなさい。何かね、キナ臭そうなのよ。
 え?うんそう調べたのよあれから。
 あんなに目立つ格好の三人組ならどっかに噂に登ってるだろうし、事実分り易かったし。
 掲示板だのツイッターだの漁ったら簡単に特定できたわ。
 んであいつらブログでね、あの携帯手に入れた経緯まで事細かに語ってたのよ」

燈されたライターの光に、存外形のいい鼻と眼鏡のレンズが照らし出される。
────光が消えると、その名残のように白煙が揺らめき、小さな灯りがともった。
「実はね、あいつら株の売買をこの携帯の指示で行ってたらしいのよ。
 元はどっかで拾ったらしいんだけど、で掛かって来たらあの声。
 そのまま何か契約みたいなことしたんだって。うん。
 シロウトながら株の売買やってたから、興味本位で言うことに従ったらしいわ。
 で指示通りにしたらなんとまー大もうけ!
 もう笑いがとまりませんとかなんとかブログに。
 ん?うんそう、あの掲示板で流行ったコピペの大本って、その発言みたいやね」

外を自動車が通り過ぎたらしい。ヘッドライトの光が部屋の中を駆け抜けた。
「んで、契約通りもうけの何分の一かをアメリカかどっかの口座に振り込んでた訳。
 でもあの三人、カンが良すぎたのか悪かったのか、
 その内妙な事に気が付いたらしいわ」

暫く燈されていた灯りが取り上げられ、もみ消される。
「何かね、最初は知り合いとの話から気付いたらしいわ。
 市場の動きが不自然だって。
 自分達の動きを予期していたように同時に動き出す。
 まるで、本当に神が見えざる手を差し出しているような、そんな感じだって。
 んでその内三人が三人とも妙な事ブログに書き始めたのよ。
 ん?何?うんそう。
 ────────『円盤に、宇宙人に見張られている』って」


携帯を持ち直す。
長いスカートから出た更に長い足を組みなおし、前かがみの姿勢になった。
「────何?そりゃ半信半疑だけど。
 でもね、物的証拠があったのよ。宇宙人に警告文を焼印みたいに貰ったって。
 画像もUPされてたの見たんだけど、正直…………ね。
 似てたのよ。あたし部屋のドアのと、置手紙のに」

猫が毛づくろいでストレス発散するように、長い髪をくるくるといじくる。
「それだけじゃない。
 あの三人、昨日分かれた後どうなったか知ってる?
 そのせいで今日アタシ大家の陳さんに呼び出されて大変だったんだから。
 ────ん、そ。


 …………殺されてたのよ、第二九龍城内で。 

 犯人は不明。うん、一応警察に引き渡したけどそのせいでグダグダ。
 三人とも頭部を何かの高熱に晒されて真っ黒こげになって、ドブの中に落っこちてた。
 だから、うん。そう。
 ヤバいと思う。
 だからあんたもその携帯早く捨てて────

 ……────────え?」



窓の外を緑色の光が通り過ぎた。
「…………────待って、ちょっと待って。今あんた何処にいんの?
 九龍城内?何で!?
 はあ!!?
 アタシに助けなんて要らないわよ!それよか自分の事考えなさい!とっとと携帯……
 助言?
 あの変な声が!?
 違うって何よ!じゃあ誰よその助言してきた奴って!」

何かのデコトラでも路に入ってきたのだろうか、緑の光が次々差し込む。
「あんた、早く逃げな!陳さんにも連絡しとくから!!
 余計なお世話!?そりゃあんたでしょうが!
 いいから早く九龍城から出て!
 バカ云うな!
 空飛ぶ円盤に狙われてるんでしょ!?
 …………何?」



「……────あたしも狙われてる?」







次の瞬間、薄暗い部屋の中でギラギラと光る緑色の光に顔を照らし出される。
その彼女が振り向いた窓の向うに、


円盤が居た。











夕闇の繁華街の路上で大騒ぎする人込みの中、雑誌記者上を見上げていた。
通話が途切れた自分の携帯も手に持ったまま。



目前に展開される光景が信じられない。

燃えている。
いや、正確には燃え落ちている。
第二九龍城の混沌とした建造物の中、昨日まで一緒に居た変人女の部屋。
さっきまで自分の携帯で話していた変人女の部屋。


そこに大穴が開き、煙が上がっていた。



中国人らしき人々が野次馬を構成し、理解できない言語で次々に叫んでいる。
炎は既に治まっているようだが未だ黒煙が上がっていた。
消防隊らしき影は見えない。
そりゃそうだ、こんな所まで入ってくるものか。

────次々と怪我人が自分の足で降りてきていた。
頭から血を流している者。
煤なのか火傷なのか分らないほど顔を真っ黒にした者。
不意に、向うで喚き声。
若い女性が脇目も振らず路上に泣き崩れていた。目の前には、
血まみれの小さな身体。




ピリリリリリリリリリ、ぴりりりりりりりりりり。
惨状に眼とあらぬ妄想力を奪われていた雑誌記者を諌めるように、古い携帯が鳴る。
自分の携帯を片付け古い携帯を手に取った。
『どうしたね。もう遅かったか?』

────声が出ない。応えられない。只息遣いのみを送り出す。
『────────ふん、成る程。ならば君だけでもその場から逃げたまえ』
少しばかり皮肉めいた声が携帯から語りかける。
『その彼女は襲われた後なのだろう?ならば多分死んでいる。諦めるべきだ』
「でも、まだ」
『自分の身の安全を優先したまえ。私もこれ以上の人死には────』


懐が震えた。
片付けたばかりの自分の携帯を右手だけで開き、着信者を確認する。






────────変人女。
光速よりも早く通話する。
「もしもしッ!!?」

『うるさいわボケ────────────────ッッツッ!!!』

…………!!?!………耳が、……!?
『大声で云わなくても聞こえてるわよ!あんた今何処!?』
……暫く三半規管を貫いた衝撃をこらえた後、ようやく雑誌記者は返事をした。
「いや、……その、お前んち前だけど。大丈夫なのかお前!?」
『前前うっさい!
 大丈夫じゃないわよ部屋もPCも服もあたしもぜーんぶ丸ごと吹き飛んだわよ!!』
「お前は?お前は無事なんだな!?」
『あっちゃこっちゃケガしたけど、一応五体満足!これでいい!?』

「…………────よかった」

安堵した。
緊張していた体から力が一気に抜ける。
何やら電話の向うで雑誌記者のコメントに変人女がいちゃもん付けてるが、どうでもいい。
その声そのものが安心の素だ。


『ちょっとー、おいちょっとー。あんたが大丈夫ー?』
「ああ。じゃあお前何処に居る?まだ上か?助けに行こうか?」
『今はダメ。来ないで。危ない────────まだ、あいつらが見張ってるから』
はっと思い頭上を見上げる。
黒煙と周辺建物からの光で夜空ははっきりと見えない。が────………
『あんたも狙われてんでしょ。あたしに構わず早く逃げなさい』



『同感だな』

いきなり左の古い携帯に同意された。
変人女との会話が聞こえていたらしい。
『彼女は自らの安全を自らで図れるそうだ。ならば君も自分を第一に考えてだな』
『誰あんた?』
…………右手の携帯の変人女も会話が聞こえてたようだ。
『もしかしてあの古い携帯の発信主?のワリに一昨日聞いた声と違うけど』
『初めまして。さあとっとと通話を切りたまえ、この御仁君が居ないと自殺したいらしい』
『……どーゆー意味よ。あんたがさっきからいらん事吹き込んでんじゃない?』

…………何か口げんか始まった。
おいてけぼりの雑誌記者、両手の携帯電話同士を逆さにして合わせる。
『そう、君も見たろう彼らの脅威を?ソレを知る私に任せて早く電源を切ってだな』
『あーんたに任せる位なら文字通り死んだ方がマシだわ。電源切るのはそっちよ』
『素人が何を云う?早々に切りたまえ』
『他人が出張るな。あんたが切れば?』
『君が切れ』
『アンタが切れ』


遂に雑誌記者が切れた。
「あ────も────!!兎に角お前がとっとと俺にツラ見せろ!今すぐ!!
 そしたら電源でも何でも切ってやるから!!」




『…………クク、成る程。フフ。ククク』
『────────ッ、分ったわよ』

あら?

『やはり君が居ないとダメなようだなこの御仁。行ってやりたまえ?なあ?』
……何クスクス笑ってんのこの人?
『あんた、一つ貸しだからね。覚えてなさいよ』


俺、何かマズイ事云った?
『              …………────、知らんッ!!』






さて。
変人女が何処に居るのかは知らないが、どうやって顔を見せるのだろうか。
一応階段なんかは使えるようだが?
『階段?こっち上の方では焼け落ちてたわよ』
「じゃあどうすんだよ?」
「『こーすんの』」
上から同じ声がハウリングして聞こえ、そのせいで上を見上げる。
雑誌記者の頭上、馴染みのビルの中央部。
変人女の部屋のあった場所。
未だ黒煙が立ち上るその穴縁りに、
彼女が見えて、

「…………へ?」

「と────!!」

──────────盛大にやかましい音を立てて屋台の屋根に落下!!
「おーい!!?」
雑誌記者が慌てて駆け寄る。
屋台は真ん中から陥没して破片がパラパラ舞っていた。
その屋台の屋根だった天幕がもそもそと動き、変人女、堂々の降臨!
「いっつー、突き指したーぁーむー」
「…………ムチャしやがって、ったく」



雑誌記者が呆れる間もなく、二人の間に古い携帯からの声が割り込む。
『再会できたか?よろしい。さて二人とも、”ダイハード”シリーズは見たことあるかね?』
その声を二人が聞くと同時に、周囲の野次馬が一斉に上を見て騒ぎ始める。
脈打つ緑の投光。
黒煙を突き抜け、
人々の顔をカエルみたいに緑に照らして、


円盤が来た。

『さあ逃げるぞ。
 神よ、どうか二人に聖ブルース・ウィリスのご加護があらんことを』





いきなり周辺のネオンが火花を飛ばす。
続いて周辺のラジオやTV、携帯から豆電球にいたるまでが破裂した。
「うわ!?」
「……い、あちっ!」
雑誌記者、続いて変人女の持っていた携帯までもいきなり煙を噴いた。
鈴のついたストラップを残して全体が焼け落ちる。


古い携帯だけが平然と雑音混じりながら機能を果たしていた。
『……指向性電磁波による妨害攻撃だ。電子部品を……は使用不能に陥るぞ……』
その様子に、変人女が雑誌記者から古い携帯を奪い取る。
「何であんたは平気なのよ!?」
『防電磁処理してあるからな、太陽の前でも使用可能だ。それより────』

円盤が、降下してきた。

大きさは大型外車位。
上下に幾重もの畝のついた皿を二つ合わせたような形で、
隙間からは不気味な程鮮やかな緑色の光が脈動している。
こちらに接近する途中、発見を喜ぶように緑の光が点滅を繰り返した。
下の方からはクラゲのような触手が少しはみ出し、揺らめく。

携帯が注意する。
『────次に来るのは恐らく物理攻撃用メーザーだ。用意はいいか?』




向かいのビルが、爆裂!!
舞い散る火の雨と悲鳴を上げ蠕動しだした野次馬達よりも一歩早く、二人は駆け出す。
足許が群集が踏み荒らしたせいかつっかかるが、構ってられない!

第二九龍城内の荒れた裏路地をひた走る。
駆け抜ける度に、自分達の背後で何かが破壊される音がした。
ポリバケツが破裂し、錆びた蛇口が吹き飛び、だらしなく水をふき出す。

破裂音。
爆砕音。
崩壊音。
埃の匂い、焦げた匂い、血の匂い。
────いきなり爆風に吹き飛ばされた。
古いコンクリの壁に吹き飛ばされ、砕けた破片がパラパラとその身に落ちる。
向かいの自動車が攻撃により爆発したらしく、爆ぜながら赤い焔を上げている。
打ち身を痛がるよりも早く、変人女に引き起こされた。


『地下だ。地下室は何処かあるかね?地下に逃げなさい』
変人女が握り締めたあの古い携帯が、尚も語りかけていた。
「────地下室ゥ?何で!?」
『円盤は狭い所が苦手です、入り込めませんし。それに放射線遮蔽には最適でしょう?』
今、何気に恐ろしい言葉を聞いた気がした。
しかし電話の主は続ける。
『”彼”は恐ろしく広範囲の電磁波を操る、マイクロ波から可視光線、放射線までな。
 被爆してツルッパゲになりたくなければお早くどうぞ?』


舌打一つ。
変人女が傍の雑居らしきビルに入り込み、雑誌記者もソレに続く。
────地下への階段。
「あった!」
あまり上手とはいえない工法で作られた階段を駆け下りた瞬間、また爆風を受けた。
ぐうと呻きながら踊り場まで転げ落ちる。
「早くッ!!」
変人女に首根っこを掴まれ、踊り場の奥へと引きずり込まれた。

埃と塵が舞い、それらに外の九龍城の光が白く反射する。
外からは人々の騒ぐ声。
瓦礫の崩れる音。
どこかの水道が漏れている音。
気味の悪い轟音。
そして、脈動する緑色の光。

変人女がそっと壁から上を伺うと、入り口付近で数度小さな爆発が起こった。





──────────円盤の影が、




                      階段の入り口付近を通り──────────





────────静寂。

何もしてこない。
さっきのは威嚇だったのか?

外からはあの緑の光や、奇妙な轟音もこちらには届いていない。

『フム、どうやら撒いたようだな。今晩はそこで過ごす事だ』
この期に及んでまだ古い携帯がしぶとく繋がっている。
変人女が声を殺してぼやいた。
「一晩隠れたって同じじゃないの?あいつがずっと付けて来てたら────」
『大丈夫。だって明日は金曜日だろう?』

「…………はあ?」
呆れかえる変人女だが、それを気にせず電話の主は続ける。
『そうそう、あの円盤に刻まれた文様は?持っていたら処分しときなさい』
「…………持ってないわよ全部丸焼けになったから。あんたは?」
雑誌記者は首を横に振る。
『よろしい、あの円盤の攻撃マーキングだからなアレは。この携帯も同様に処分をしろ。
 内部に同じマーキングがしてあるハズだ。それでは』
「え?あ、ちょっと!」
変人女が引きとめようとしたが、無駄だった。





『────私はエド。”禿鷹”エド。縁があればまたの機会に』
それを最期に、通話はふっつりと途切れた。













付きっ放しの編集部のTV。

丁度お昼のワイドショーが最新ニュースをヘッドラインで伝えていた。
このところ、マスコミは自らを賑わすネタに事欠かないらしい。


一週間毎の世界同時多発的な株式市場の大変動。
前FRB議長アーノルド・グリーンウッズの訪日と、日銀総裁との会談予定。
湾岸地域違法ビル群、通称”第二九龍城”での大火災と、その続報。
チャイニーズマフィアによると思われる東京各地での銃撃、爆弾事件。
────なんとまあ物騒な世の中か。


ちなみにこれはこのしがない編集部にとって人事ではない。
あんまり売れないこの編集部の雑誌は、同社の他誌の収益によって支えられている。
この編集部が潰れないのはスミ先生や社内有力者の尽力によるものだが、
それだけでは、他の雑誌編集部が納得してくれない。
よって妥協案。
他誌編集部が忙しい時に、この編集部は助っ人を出すのが通例となっているのだ。
いつもその任を追うのは、あの雑誌記者だったのだが────



「……────こいつ、今日も無断欠勤か?」

編集長が熊みたいにのっそりやってきて、雑誌記者の席を眺めた。
机の上は久々の休日に備えたためか結構片付いている。
その休日を含め、今日で五日目。
「折角、今日こそファミレスででも昼飯奢ってやろうって思ったんだが」
「編集長!それなら私が!」
「おかじー、お前はzip拾ってないで自分の仕事済ませろ」
「へい」



雑誌記者にしては珍しい光景なのだ。
彼は意外にも働き者で、休みの日でも出てくるし有給もろくに取っていない。
そういえば同じ日から変人女とも連絡がつかないようだ。

「…………女とトラブルでも起こしたかね?」
「女ッ!?」
「あーそーだよ?ホレた女とトラブル起こしたら一週間位会社休むってもんじゃないか?」
「ええええ!?」
「ホレたキャラのエロ画像求めて一晩中画像サイトさ迷うのと同じだろ、おかじー?」
「あうっ」
────まあ、女うんぬんは編集長の若い頃の話なのだが。


何故か悶えているおかじーをいじって楽しんでいると、小坂が背中を突付いてきた。
「ん?どしたい」
「下の郵便受けに編集長宛で、こんな手紙が」
差し出されたのは、差出人無し宛名のみの茶封筒。
カミソリは入ってないらしい。
とりあえず開けてみる。



『無断欠勤申し訳ありません。
 現在、私は出社できる状態ではありません。
 警察への連絡は遠慮してください。必ず近い内に戻ります。
 欠勤分の日は、できれば有給で処理してください。よろしくお願いします』



雑誌記者の字だった。
その後に続いて書いてあるミミズ文字は変人女らしく、休載がどうのとのたまっている。
投函場所は何処かと思って封筒を見ると、切手が貼ってなかった。
どうやってここまで来たのだろう。直接下の郵便受けに投函したのか?
「…………マジかい」
編集長は無い筈の頭髪をボリボリ掻いた。
手紙を見るなりその場でプラトーンごっこを始めたおかじーを放置しながら、
編集長はもう一度雑誌記者の机を眺める。


積まれた書類が数枚、午後の風にはためいていた。





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